平成の時代の最高傑作をたずねられたとき、クルマ好きの多くが真っ先に車名をあげるのが、8代目のR32型スカイラインではなかろうか。長い日産車史上でも、R32系スカイラインは他を圧倒する人気車となっている。
なかでも突出して評価が高く、今も憧れの存在となっているのが、ノーマル仕様から3か月遅れて登場したイメージリーダーである2ドアスボーツクーペ「GT-R」だ。型式はBNR32で、平成元年、西暦では1989年の8月に正式発売された。
本稿ではそんな「R32型スカイラインGT-R」登場時の経緯と、当時このクルマが自動車ファンにどのような衝撃を与えたか、当時を知るジャーナリストの片岡英明氏に伺った。
文/片岡英明 写真/日産自動車、ベストカー編集部
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■超ド級の走りを見せる新世代のGT-R
8代目スカイラインの開発プロジェクトがスタートを切ったのは、7代目であるR31系スカイラインが世に送り出された直後の1986年である。
開発コードは“RX”だった。
開発主管の伊藤修令氏は、
「今までの流れをいったんゼロに戻し、スカイラインに求められているものを考え直した」
と語っている。新たな評価基準を作るところから第一歩を踏み出したのがR32系のスカイラインだ。
当然、走りの実力はヨーロッパの高性能スポーツモデルを凌駕するものでなくてはならない、と開発陣は考えた。だから2LのRB20DET型直列6気筒DOHCターボを積む「基準車」の性能目標の仮想ライバルは、メルセデス・ベンツ190E2.3-16やBMWM3、そしてポルシェ944ターボにしたのである。
目標を達成するためにフリーディスカッションの場である「901連絡会」を作り、性能評価を担当するテストドライバーの運転訓練も積極的に行なった。ご存じの方も多いと思うが、「901」は1990年までに走りの性能世界一を目指す、社内の啓蒙活動のことだ。
「GT-Rを復活させる」という構想が首脳陣に芽生えたのは、開発が始まった直後の1986年春である。「日産の技術イメージを高めるためには超ド級の走りを見せる新世代のGT-Rが必要だ」と判断し、正式に開発することを決定した。
伊藤修令氏は「プリンス自動車」の入社である。その脳裏にはずっと、スカイラインの栄光の歴史が刻まれており、「主管を引き受けたときから、GT-Rを復活させることが自分の使命である」と強く考えていた。
GT-Rが狙ったのは、当時苦杯をなめていたグループAレースを制することだ。
しかも、次の世代にバトンを託すまで破竹の快進撃を続け、王座を守り通すことを目標に掲げた。技術革新が盛んなモータースポーツの世界において、王者の座に5年以上とどまることは簡単ではない。実現するためには、発売時にとてつもなく高いところへ技術レベルを持っていく必要がある。だからこそGT-Rには積極的に新技術を盛り込んだ。
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