今の20代に「日産を代表するクルマは何ですか?」と質問したら、きっと「リーフ」や「ノート」、「セレナ」と答えるのでしょう。
しかし、50代の人へこの質問をしたら、間違いなく上位に入ってくる車種が「スカイライン」です。
スカイラインはかつて、日産の顔とも言えるクルマでした。しかし今やその影は薄く、2020年累計販売台数は3891台、平均月販台数はわずか324台です。かつては5年間で67万台を販売(4代目いわゆるケンメリ、GC110)した人気モデルだったのです。
スカイラインはなぜ、このような販売台数になってしまったのでしょうか。また今後のスカイラインはどうなっていくのでしょうか。
文/諸星陽一 写真/日産自動車
【画像ギャラリー】画像で振り返るスカイラインの歴代型と現行型
■スカイラインの誕生話
スカイラインは日産のクルマとして生まれたわけではありません。
1957年に生まれた最初のスカイラインは、プリンス自動車で開発、販売されました。当時、高い技術力を誇っていたプリンス自動車から発売された初代スカイラインは、フロントにダブルウィッシュボーン、リヤにド・ディオンアクスルのサスペンションを採用、1.5リットルで60馬力を発生する4気筒OHVエンジンを搭載する先進的なモデルでした。
1960年にはイタリアの巨匠ジョバンニ・ミケロッティがエクステリアデザインを担当したクーペ&コンバーチブルのスカイラインスポーツが登場します。
スカイラインに大きな注目が集まったのが1963年に生まれた2代目のS50です。
それまでのクルマは、ガソリンを給油するたびにシャシーにグリスを補給しないとなりませんでしたが、S50は1年間、もしくは3万kmはグリス補給なしで走れるというシャシーを開発、実用化したのです。
今では当たり前のこの性能ですが当時としては画期的で、プリンス自動車は「理想のファミリーカー」をキャッチコピーとした純オーナーカー(当時はマイカー時代幕開け直前)として位置付けました。
デビュー年にあたる1963年、S50スカイラインは鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリに出場するも惨敗。翌64年、S50スカイラインはグロリア用6気筒エンジンを搭載、ホイールベースを200mm延長した「スカイラインGT」で第2回日本グランプリ(富士スピードウェイ)に参戦します。16周で争われたこのレースの7周目、ファミリーセダンを改造したスカイラインが純レーシングカーであるポルシェ904を抜きトップに立ちます。
到底かなうと思っていなかったドイツのレーシングカーの前を(1周ではあるものの)国産車が走ったのは、多くの国民に感動を与えスカイラインの名を日本中に広めたのです。レースの結果は2位でしたがそんなことは関係なく、ガイシャの前を国産が走ったのは重要なことでした。
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