名門日産車の「散りぎわ」は必然だったのか 時期尚早だったか…?

名門日産車の「散りぎわ」は必然だったのか 時期尚早だったか…?

 現在の「日産自動車株式会社」が発足したのは1934年6月(昭和9年)、今から85年も前のことだ。これまで日産は、いくつものクルマを開発し、「名車」とよばれるクルマも数多く世に送り出してきたが、「名車」と呼ばれながらもモデル廃止を選んだクルマも多くある。

 今回は、廃盤となってしまった名門日産車の散りぎわを確認しながら、なぜ生産終了することになったのか、考えていく。

文:吉川賢一
写真:NISSAN、ベストカー編集部

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「ヤング」層に人気だった、スタイリッシュなセダン「セフィーロ」

 90年代の日産セダン黄金期の一翼を担った、「セフィーロ」。1988年に初代のA31型が登場して以降、A32型、A33型と、3世代にわたって日産のラージセダンの柱として君臨した。

 初代セフィーロは、当時、日産の2枚看板であった「スカイライン」「ローレル」と共用する後輪駆動のシャシーを採用していた。マークII三兄弟(マークII・チェイサー・クレスタ)に対抗して、スポーティな「スカイライン」、ラグジュアリーな「ローレル」、そして先進的でスタイリッシュな「セフィーロ」の「日産版の3兄弟」としてデビューした。

初代セフィーロは、スポーティな「スカイライン」、ラグジュアリーな「ローレル」、そして先進的でスタイリッシュな「セフィーロ」の「日産版の3兄弟」としてデビュー
初代セフィーロは、スポーティな「スカイライン」、ラグジュアリーな「ローレル」、そして先進的でスタイリッシュな「セフィーロ」の「日産版の3兄弟」としてデビュー

 メインターゲットは30代前半の「ヤング」層。カッコいい大人に憧れた若者たちが、カッコいいセダンに夢中になる、そんな時代だった。「くうねるあそぶ。」というキャッチフレーズとともに、井上陽水氏が「お元気ですか?」と助手席から問いかけるテレビCMは当時話題となった。このように初代セフィーロは話題にこそなったが、商業的には成功したとはいえなかった。

 しかし、2代目のA32型からは北米マキシマと統合され、ラージFFセダンとなったことで、主に北米市場での販売に成功。3代目のA33型も北米市場で大いに受け入れられた。しかし国内では振るわず、国内セフィーロは2003年に生産を終了。ラージFFセダンは、新世代のFF-Lプラットフォームを採用したティアナ(北米名アルティマ)へと切り替わった。

 マキシマと統合により、北米でのニーズに合わせたボディサイズとなった、セフィーロ。しかし、そのボディ拡大が、国内市場では災いしてしまった。この流れは仕方のなかったことかもしれないが、セフィーロにとっては、マキシマとの統合が「運の尽き」だったのかもしれない。

セフィーロの最終型となったA33型。波型のヘッドライトが3代目セフィーロの特徴。ボディサイズは大きく、2001年のマイナーチェンジで全長は4920mmと、シーマに近い長さまで拡大した
セフィーロの最終型となったA33型。波型のヘッドライトが3代目セフィーロの特徴。ボディサイズは大きく、2001年のマイナーチェンジで全長は4920mmと、シーマに近い長さまで拡大した

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