三菱自動車は、2021年5月11日に行われた決算発表会で、ラリーアートを復活させると明言した。
ラリーアートといえば、三菱のモータースポーツ活動を行う子会社として、かつてはWRCやパリ・ダカールラリーなどで三菱のワークスチームとして参戦。そのほか、モータースポーツ参戦のための市販車用パーツ販売やユーザー支援、コルトやギャランフォルティスなど市販車のスポーツグレードとして用意された名門ブランドだ。
2010年頃にはその業務が大幅に縮小されていたが、今回11年ぶりに復活することになったのだ。
やはり三菱といえばWRCやパリ・ダカがすぐに頭に思い浮かぶ。三菱の礎を築いてきたDNAといえるものだ。
三菱がモータースポーツ活動へ復帰することは往年のファンならずとも、低迷している三菱自動車を復活させるカンフル剤、イメージリーダーとして待ち望んでいる人も多いのではないだろうか。
そこで、ラリーアートの復活によって、三菱はモータースポーツの世界にワークスとして返り咲くのか? 長年、WRCの取材活動を通して、三菱ワークスチームを追ってきた、モータージャーナリストの古賀敬介氏が徹底解説。
文/古賀敬介
写真/三菱自動車 エクストリームE
ラリーアートの復活が三菱の復活の道を拓いていく
2021年5月11日、三菱は2020年度の決算発表を行い、そのなかで伝統のブランド復活を宣言した。RALLIART(ラリーアート)は三菱のモータースポーツディビジョンであり、WRCやダカールラリーの王座獲得を支えてきた戦闘集団である。しかし、業績の悪化に伴い活動規模を縮小。開発および実戦部門は廃止され、近年はオフィシャルサイトも閉鎖されるなど、存在がほぼ消えつつあった。
その背景には、三菱の再建に尽力した益子修前社長兼会長の経営判断があり、彼は「モータースポーツ活動はコストに見あわない」という、確固たる考えの持ち主だった。
それ故モータースポーツの活動予算は徹底的に絞られ、RALLIARTだけでなく、三菱内部のモータースポーツ技術研究開発部門も解体され、岡崎で長年受け継がれてきたモータースポーツの灯火は、ほぼ消えていた。
しかし、2020年8月に益子氏が健康上の理由により会長を退任し、その後亡くなると、社内の雰囲気は少しずつ変わっていったようだ。
2019年に社長に就任した加藤隆雄氏は、三菱の生え抜きであり、生産畑を歩んできたエンジニアでもある。当然クルマに対する理解は深く、自社の製品に対する思い入れが非常に強いと聞く。
どうすれば三菱のクルマが再び多くの人の関心を集めるようになるのか、加藤氏はヒアリングを重ねながら熟考を続けてきたに違いない。そして、その施策のひとつとして、RALLIARTの復活を決断したのだろう。
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