40年にわたってスズキの舵取りを行ってきた鈴木修会長が、2021年6月、経営から退くことになった。カリスマ経営者と呼ばれる鈴木氏はどんな経営者だったのか、経済評論家があらためて検証してみる。
日本自動車界における小型車、軽自動車を牽引し続け、さらにスズキを世界的企業へと成長させた鈴木修会長の手腕と長所、そしてあえて言及してみる短所とは?
文/加谷珪一 写真/ベストカー編集部、SUZUKI
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スズキを世界的企業へ成長させた鈴木修会長の手腕
スズキは2021年2月24日、鈴木修会長の退任を発表した。6月の定時株主総会後に取締役から退き、相談役に就任する。長くトップとしてリーダーシップを発揮してきた経緯を考えると、完全引退に近いと考えてよいだろう。今後は、息子で社長を務める鈴木俊宏氏に権限を委譲する。
鈴木氏は規模の小さい軽自動車メーカーだった同社を売上高3兆円の世界企業に育て上げた。いち早くインド進出を決断し、高いシェアを確保するなど、スズキにとってはまさに中興の祖といってよい。
偉大な実績にもかかわらず、自らを「中小企業のおやじ」と呼んだり、重要な意思決定の場面では常に「勘ピュータ(コンピュータのように勘が冴え渡ること)」が働くなど、豪快な天才経営者というイメージが強い。
だが、鈴木氏はもともと銀行マンであり、徹頭徹尾、数字の人である。表面的なイメージを一旦、取り払って経営者として鈴木氏を冷静に分析すれば、緻密な金融マンとしての顔が見えてくる。
鈴木氏は中央大学卒業後、しばらく銀行マンとして働いていた。28歳になった鈴木氏は、当時、同社の社長を務めていた創業家出身の鈴木俊三氏の娘婿となり、同時にスズキに入社することになった。
当時のスズキは、鈴木氏の「中小企業のオヤジ」という言葉が冗談にならない状況であり、鈴木氏は(その頃の)スズキの生産工場の様子があまりにも前近代的なことにショックを受けたという。
だが、鈴木氏は持ち前のバイタリティを発揮し、徹底的に合理化を推進。3年後には新工場の建設をゼロから行うなど次々と実績を上げ、入社5年目には購買部長に就任している。
スズキ本体がようやく近代的な製造ラインになろうとしていた時代であり、同社に部品を納入する部品メーカーに至っては零細企業ばかりで、納期もメチャクチャ、不良品だらけという状況だった。鈴木氏は、各部品メーカーを一軒一軒回り、どうすれば効率が上がるのか、品質を維持できるのか、手取り足取り指導し、部品メーカーの練度を上げていったという。
鈴木氏は同社が大企業になってからも、常に「1円単位のコスト削減が会社の利益を左右する」と口酸っぱく指導しており、「工場にはカネが落ちている」(つまり、効率化、コストダウンを行う余地は常にたくさんあり、それが実現できれば、最終的には大きな利益になるという意味)が口癖だった。
ちなみにスズキでは工場などの設備について、わずか3年で減価償却を行っている。通常、こうした設備には法定上の償却期間が定められているが、社内独自の基準で法定では10年の機器も3年で償却してしまう。
鈴木氏はすべての設備を3年で償却するつもりで投資の判断ができなければダメだと考えており、これは銀行マン出身である鈴木氏らしいシビアな発想といってよいだろう。こうした鈴木氏の仕事ぶりを見ると、彼が徹頭徹尾、数字の人であることがよく分かる。
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