5歳からカートレースを始め、15歳から数年間の空白を挟んでレース界に返り咲き、2021年からスーパーフォーミュラにレギュラー参戦する『歳上のルーキー』がいる。
彼の名は大津弘樹。SFのシートを幸運と巡り合わせと、そして何よりもその速さで掴み取った『若き苦労人』に段純恵氏がインタビュー。
文/段 純恵、写真/HONDA
【画像ギャラリー】苦難を乗り越え2021年からスーパーフォーミュラにレギュラー参戦する大津弘樹
■アルバイトで貯金をしながらチャンスを待った
苦労人というよりは、回り道をしてきたというかんじかな。僕、27歳なんですが、一緒にスーパーフォーミュラに上がった選手はだいたい20代の前半で、同じルーキーといっても年齢差があります。僕は高校1年生から3年生までレースをしていない時期があったので、この年の差になってます。
5歳から15歳までカートで走って、そこからSRS(鈴鹿レーシングスクール)に入校して4輪レースにステップアップしたい、というタイミングで実家の会社が倒産したんです。
そこから3年間、まったくレースをやってませんでした。SRSに入校するにも当時は300万円くらいかかった。ジュニアカテゴリーに出るにもお金がかかる。家の状態を考えたらSRSに行きたい、レースがしたいなんて親には言えませんでした。
でもやっぱり走りたかったから、バイトして稼いだお金で月イチとか2ヶ月に一回とか、鈴鹿や筑波サーキットのスポーツ走行の時間帯に一日いくらのFJ1600マシンをレンタルして練習してました。いつレースに出られてるようになってもいいように。
何のバイトをしてたかですか? 引っ越し屋です。アリさんマークの。いつかお金が貯まってSRSに入校するタイミングがきた時のために体力をつけておこうと、体を使うアルバイトにしました。時給も良かったし。あとCoCo壱番屋で働いてました。いまでもココイチのカレー、大好きなんです。
■レーサーになりたい!! 子供の頃からそれしか考えられなかった
その間、やっぱりレースをやりたい、ずっとそう思ってました。5歳の時に父にカートコースに連れていってもらって興味を持ち、その年のF1日本グランプリの鈴鹿でシューマッハとハッキネンのタイトル争いを見たんです。こんなカッコいい世界があるんだと思った。
そこからカートレースをはじめて実家がああなるまでの10年あまり、毎週土日は練習してました。ずっと父に頼ってレースをさせてもらってたんです。
父にも家族にも僕のレースのことで苦労をかけたので、恩返しをしたいといつも感じてました。レースに出られなかった間、一流のレーサーになってお金を稼いでいかないとって、その気持ちだけで過ごしてた部分はあります。
レースを諦めるという選択肢はなかったですね。小学校に上がった時から運動会に出たこともないくらい、ずっとレースをやってきてそれ以外の道は考えられなかった。状況は厳しかったけど、なんとか這い上がっていこうって気持ちだけでした。走るのが、走っているのが好きなので。
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