パトカーといえば、日本では白と黒の「パンダカラー」がお馴染みだ。白黒ツートンのクルマをみかけるだけで気が引き締まる条件反射は、日本のパトカーデザインの長い歴史があるからこそであろう。
だが、実は日本のパトカーのカラーリングは、もともとは白色だったことをご存じだろうか。「パトカーのルーツ」についてご紹介していこう。
文:吉川賢一
アイキャッチ写真:AdobeStock_jaraku
写真:有村拓真、ベストカー編集部、写真AC、AdobeStock
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原点は、米国のパトカー
警視庁の広報資料によると、日本でパトカーのはじまりは、昭和24年(1949年)1月の浅草署でのこと。第二次世界大戦後で大混乱していた当時は、日本でも強盗やひったくり事件など治安が非常に悪かったそう。
そこで、当時の自治体警察が、米軍の払い下げのクルマのボディに「移動警察」とペイントをして、試験的に導入したのが日本におけるパトカーのはじまりだそうだ。その後、昭和25年(1950年)6月に米軍からオープンカーを譲り受け、動く交番「パトカー」が登場した。
しかし当時、日本で生産されていたクルマは、そのほとんどが白一色のボディだった。そこで、パトカーであることがすぐに分かるよう、米国のパトカーのカラーリングを参考にして、白と黒のツートンカラーとした。これが現在の「パンダカラー」の原点となった。
その後、昭和30年(1955年)には、このツートンカラーが全国的に統一され、今のパトカーのカラーリングに定着したようだ。
米国では、さまざまなカラーのパトカーが
なお、連邦制の米国では、各州の警察、市警察、郡警察といったように、それぞれ自治体独自の組織を持っており、現在では、パトカーのカラーリングもさまざまある。西側のカリフォルニア州では、白と黒のツートンカラーのパトカーだが、東側のニューヨークでは、白地にブルーのラインとNYPDのロゴ入りパトカーなど、全く違う。車種もセダンからSUV、ピックアップトラックまで色々だ。
もし1950年当時に日本が真似た米国のパトカーが、今とは異なるカラーリングだったら、日本のパトカーは違うものになっていただろう。
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