かつては4.5リッターの大排気量V8エンジンをラインナップし、豪快な走りでファンを魅了していた日産の高級セダン「フーガ」。後席も広く、名車「セドリック/グロリア」の後継として恥じない実力を持っていたクルマだ。
しかしながら、日本市場では受け入れられることはなく、気が付けば生産終了。いったいフーガは何がダメだったのか、そして日産に何を遺すことができたのだろうか。
文/吉川賢一、写真/NISSAN
■高級スポーティセダンとして理想的な仕上がりだった初代フーガ
1980年代に華々しく活躍した、高級ミドルクラスセダン「セドリック」と「グロリア」のポジションを引き継ぎ、2004年10月に発売された初代フーガ(Y50型)。
2001年に登場したV35型スカイラインと同じく、フロントミッドシップにエンジンを縦置き配置する「フロントミッドシップパッケージ」(FMパッケージ)を採用したFR-Lプラットフォームを採用したドライバーズセダンとして登場した。
BMW5シリーズと同等の走行性能を開発目標に掲げられていた初代フーガは、その高い目標性能のおかげで機敏なハンドリングと高い高速直進性を持ち合わせており、また、ルーフを上げたことで後席を含む車内の快適性は上々、インテリアも質感が高く、高級スポーティセダンとして理想的な仕上がりだった。
エンジンは、4.5リッターV型8気筒 のVK45DE(333ps)と、3.5L V型6気筒のVQ35DE(280ps)、2.5L・V6のVQ25DE(210ps)の3種類。マニュアルモード付5速ATとの組み合わせであった。
よりスポーティな路線の「450GT」 「350GT」 「250GT」と、よりラグジュアリーを狙った「350XV」と「250XV」のグレード構成を持ち、GTには、19インチのタイヤ&ホイールも設定していた。
北米インフィニティのラージFRセダン「M(2014年にQ70と名称変更)」とモデル共用だった初代フーガ。「M」が富裕層の中でも若者向けのモデルだったことで、そのデザインには若々しさがあり、それが功を奏してか日本でもまずまずの成功を収め、2009年まで販売は継続された。
現行である2代目フーガ(Y51型)は、2009年11月に登場。
初代同様に、BMW5シリーズを開発目標に掲げ、Lクラス級の巨大なボディを持ちながらも、徹底的にハンドリングにこだわり、日産お得意の後輪操舵システムと、フロントアクティブステアを組み合わせた「4WAS(4輪アクティブステア)」も継承するなど、生粋のハイパフォーマンス・スポーツセダンとして登場した。
なんと、20インチホイールのハイグリップタイヤまで用意されていた。
当初、国内仕様には2.5LのV6と、排気量を200ccアップした3.7LのV6、という2基を設定していたが、その1年後の2010年11月、3.5Lエンジン+1モーター2クラッチ方式のハイブリッドシステムを搭載した「フーガHYBRID」を追加。
このフーガHYBRIDは、2012年当時、0-400m加速で、ポルシェパナメーラのタイムに勝利し、「世界最速の市販ハイブリッド」という名誉を獲得している(タイム13秒9031は当時のギネス世界記録に認定)。
北米インフィニティには、420馬力を発揮する5.6L V8エンジンを搭載した「M56」という、日本では考えられないほど胸アツなモデルもあったが、日本に導入されることはなかった。
フーガには、セドグロ時代から続く、「どこか危険な香り」がする部分があった。330psのV8 NAエンジンを積んでいたY50フーガなんて、ちょい悪オヤジにはピッタリなイメージだ。だが、そうしたところが、日産らしさとして愛されてきた理由のひとつでもあった。
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