ランエボやインプレッサ……日本車史に残る名車を生んだWRC(世界ラリー選手権)の2018年シーズンは、最終戦を残し、目下トヨタがランキングトップをキープ。復帰後初のチャンピオン獲得もいよいよ現実味を帯びてきた。
トヨタの参戦車である「ヤリスWRC」のベース車は皆さまご存じ(日本ではあまりモータースポーツのイメージはない)ヴィッツ。
そのトヨタも、過去にはセリカ GT-FOURなど量産車として記憶に残るモデルをWRC参戦のベース車両として世に送りだしている。
特に日本車がWRCで活躍した時代は、今以上に競技車両が市販車に近く、ベース車両が良くないと競技に勝てない。だから、凄まじいモデルたちが次々に生まれた。
ここで紹介する5台は、まさにWRCに出たからこそ生まれた超ド級の市販車なのだ。
文:片岡英明
写真:SUBARU、TOYOTA、MAZDA、NISSAN、MITSUBISHI
今より市販車に近かった! WRCベースの最強量産車
100年以上の長い歴史を誇るラリー競技は、レースと歩調を合わせるように発展し、市販車の性能向上にも大きな役割を果たした。
その最高峰、WRC(世界ラリー選手権)では当初、市販車に近い「グループ2」とチューニング範囲が広い「グループ4」のラリーカーがタイトル争いを展開。日本車はグループ2のセリカやTE27型カローラレビン、ダットサン(フェアレディ)240Z、三菱ランサーGSRなどが参戦した。
その後、規定が変わり、連続した12カ月間に20台の競技車両を含む200台を生産すればWRCに出場できる「グループB」規定のラリーカーの参戦が認められたが、大きな事故を引き起こし、死者も出たためFIAはグループBの廃止を表明。そして1987年シーズンから、WRCの競技車両を下のクラスと同じように量産車ベースの車両に限定したのだ。
ラリーのクラス分けは、「グループN」と呼ばれるノーマルカーと改造範囲を少し広げた量産車によって争われる「グループA」のふたつ。いうまでもなくWRCの主役は、グループAカーによってメイクスチャンピオンとドライバーズタイトルを争う上のクラスだ。
日本の自動車メーカーもメイクスチャンピオンを目指し、連続する12カ月間に5000台を超えるベース車両を生産し、参戦した。
1980年代後半から2000年代に誕生したWRC参戦のためのベース車両には傑作が多い。それは当然だろう。ベース車両がよくないとモータースポーツで勝つことは難しい。ライバルを蹴散らし、勝利するために知恵と情熱を傾けて、最高のクルマを開発し、送り出した。
トヨタ セリカ GT-FOUR
その筆頭が、スペシャルティカーのセリカに設定されたGT-FOUR RCだ。
第5世代のST180系は1989年9月に登場。フルタイム4WDに2Lの3S-GTE型直列4気筒DOHCターボエンジンのGT-Fourは、1991年夏にマイナーチェンジを行い、9月にはWRC参戦ベース車の「RC」を限定発売。日本への割り当ては1800台だった。
RCは「ラリー・コンペティション」の頭文字を取ったもので、3S-GTE型エンジンの空冷式インタークーラーを水冷式に変更。冷却性能を高めたことにより、最高出力は10psアップの235psになった。
今のクルマより軽量だから気持ちいい加速を見せ、ハンドリングも軽快だ。ワイド化されたフェンダーも似合っている。GT-Fourは92年と93年、メイクスに加え、ドライバーズタイトルの二冠に輝いた。が、この後、規則違反の不正が発覚し、ラリー界から去っている。
コメント
コメントの使い方当時パルサーGTI-R苦戦、その原因のひとつがセリカ規則違反にも?…と、時系列で見えます。
後追でセリカ・ホモロゲ出して…GTI-Rに(だけ)は負けたくなかったのでしょうね。
セリカ規則違反は、その後印象的にあまり尾を引いていない?ですが、GTI-Rの方は、そこでも意図的イメージ戦略か、徹底的に潰されたのかな?と感じます。
勝ちと負けイメージ…ただそれだけだった?皮肉なものです。