2012年に登場したトヨタ 初代86。現在はGR86と名を変え、多くのファンを持つ存在となった。しかし登場当初、トヨタディーラーが販売に四苦八苦したという歴史も。世界中に熱狂的ファンを作った86を販売現場はどうやって売ってきたのか、販売の原点をお伝えする。
文/佐々木亘、写真/TOYOTA
■久しぶりのスポーツカーをどう売るか
86はトヨタブランドとして、MR-S以来のスポーツカーだった。MR-Sがドロップアウトしたのが2007年のことであり、当時は5年ぶりにトヨタにスポーツモデルが復活することとなる。
MR-Sを販売していたのは全国のネッツ店(旧オート店)とビスタ店(のちのネッツ店)のみであり、その他のチャネルでは、5年以上スポーツカーを取扱ってこなかった。86の導入に先駆けて、トヨタ店、トヨペット店、カローラ店では、まず本格2ドアスポーツモデルを、いかにして販売するのかという、基礎から販売戦略を練り上げる必要があったのだ。
購買層は? 商談の進め方は? ユーザーのアフターフォローは? など、スポーツカーを売ったことがない営業マンが多いなか、必死の準備をしながら、発表・発売を待つこととなった。
■メーカーの思いはわかるが実利にならない! 販売の邪魔といわれた時代も
86発表当時、トヨタ自動車の社長は豊田章男氏だ。86を新たに投入することにも並々ならぬ思いがあったに違いない。
こうした熱い思いは販売現場にも伝わってはいた。いっぽうで、販売現場では「スポーツカーは実利に繋がらない」という、マイナスのイメージも拭いきれずにいたのだ。
「AE86の復活か」「トヨタのスポーツカー復活」など、メディアの取り上げも大きく、86の注目度は抜群だった。しかし、スポーツカーは生活の中で利用するクルマではなく、販売台数が伸びる車種ではないことは、トヨタディーラーの多くは薄々感づき始めている。
客寄せパンダなら、寄ってきた客が他の物を買っていくから利益がまだ出る。しかし86は、客寄せパンダにもならないただの邪魔者。そう感じる瞬間が、発売開始からすぐに訪れることとなった。
物珍しい86を見にユーザーは集まる。試乗の申し込みも多く、土日祝日には86の試乗に同乗するだけで、営業マンの1日が終わってしまう日もあったほどだ。しかし、ユーザーが買いに動く様子はない。86への試乗は「スポーツカーに記念に乗ってみた」という体験で終わってしまうからだ。
営業マンには実のある商談を進めて欲しいのだが、試乗に狩りだされ商談ができない。86に時間を取られ、売れる他車種の販売活動が後回しになった。販売現場は86がもたらした迷走の渦の中に引き込まれていく。
「もう86はうんざりだ」「仕事にならない」と営業マンがこぼし始め、86の試乗にサービススタッフや受付・事務スタッフ、管理職などが代わって入らざるをえない状況にまでなったお店も少なくない。
狭い後席に押し込められ、MTに不慣れなユーザーの心許ない運転にドキドキしながら、急ハンドル急発進を繰り返す車内で車酔いと戦う1日。2012年4月に販売されたが、以降半年間、トヨタディーラーの多くは86と言う存在に振り回されることとなった。
コメント
コメントの使い方お客さんの試乗の同乗で一日仕事ができない、そんなこともあったのね。そりゃ大変だわ。買う気はないのに、自動車評論家を気取って試乗レポートをブログに挙げてる人をよく見かけるけど、ディーラーさんにとってはいい迷惑だろうね。
知り合いのディーラーマンが申すには100%指名買いだったので楽だったよ。妙な値引きとかも全然言わないしねと申しておりました。
初代はよく売れたみたいだけど、新型は全然見ないねー
トヨタってスバルの車としか考えてなかったのが実情でしょう
売れなければスバルの専売