最近は路線バスにもEV・電気自動車仕様の車両=電気バスが登場し始めているが、EVそのものの歴史はかなり古く、電気バスの実用化も今からなんと90年も前にこぎつけていた……それも日本で、だ。
文:中山修一
写真:キャプション参照
(写真ギャラリーを含む写真付き記事はバスマガジンWEBまたはベストカーWEBでご覧ください)
■「エコ」は関係ございません
1880年代にヨーロッパで発明されたのを皮切りに、1900〜1910年代頃まで、アメリカを始め当時の先進国で広まった電気自動車。
日本でも早くから研究用に電気自動車を輸入する動きはあったものの、実用化までコマを進めたのは、欧米では既に電気自動車が過去帳入りしていた1930年代に入ってからだ。
1930年代の日本では、悪化の一途を辿る世界情勢から石油系燃料が軍事優先となり、民間へは国策としてガソリン節約が叫ばれ、代用燃料で走る自動車が推奨されるようになった。
当時の自動車カタログを開くと、依然ガソリン車を筆頭にしながらも、後半に代用燃料車の欄が設けられ、その欄に木炭車やディーゼル車と共に電気自動車が掲載されている。
この時代の電気自動車は、音が静かで振動も少なく、内燃車に比べてメンテナンスが容易、といったメリットは強調されていたが、その実態はガソリン車の代用品という位置付けだったようだ。
■日本が作った元祖・電気バス
1930〜40年代の自家用車の普及率は極めて低かったが、EV仕様の小型乗用車も作られた。しかし、当時の電気自動車として中核を担ったのは、もっぱら事業用の小型トラックやバス車両といえる。
電気自動車のバス車両を手がけた主なメーカーに、中島製作所と神鋼(神戸製鋼所鳥羽工場)があった。ちなみに前者は航空機製造で有名な中島飛行機とは関連のない別会社だ。
中島製作所のモデルは東邦電力と湯浅電池の合同により開発。「SKS」の型式が付けられ、バリエーションが複数あったとされる。
カタログを参考に各スペックを述べると、SKS-1型が全長7.4m、重量4.2トン。41人乗りで最高時速42キロ。SKS-2型は全長6m、重量3.9トン。37人乗りで最高時速は48キロだ。
一方の神鋼製も何種かバリエーションがあったようだが型式はない。カタログに掲載されているモデルを例にすると、全長6.53m、重量4.5トン。34人乗りで最高時速40キロ。
スペックだけ見ると「すごく遅いクルマ」な印象。ただし昭和10年代当時の法律が定める、トラック・バスの公道上での最高時速は35キロのため、それだけ出せれば十分だったのかもしれない。
ほか、いずれも最大10%勾配の登坂能力を持つとされる。連続走行1回あたりの航続距離は50〜60kmと、やはり電気自動車ゆえに短め。架装する車体はどちらもキャブオーバースタイルだ。
新車価格はシャーシと車体を含めて1台1万円程度だったとされる。感覚的には今日の2,000万円くらいといったところか……。