東京・池袋の暴走事故で9月17日午前0時をもって禁錮5年の実刑判決が確定した。痛ましいこの事故から学ぶべき教訓は、便利=安全ではないということ。その一方で技術の進歩により以前は不可能であったことが、誰でもできるようになる希望もある。自動車の専門メディアとして、コロナ禍を経たこれからの時代に求められるドライバーの役割とは何かについて発信したい。
文/照井資規(元陸上自衛隊衛生官)
写真、スライド/照井資規、Adobestock(メイン=miya227@AdobeStock)
■世の中が便利になることで人は進化を求められる
便利になることは、何かを失うことである。その恩恵を享受するために人は進化しなければならない。ほとんどの自動車がオートマチック車になることで、アクセルとブレーキの踏み間違い、バックでの急発進による痛ましい事故が相次ぐようになった。これらはクラッチを繋ぐ動作が必要なマニュアル車では起こりえない事故である。
平均寿命が延びた現在では、膝関節が硬くなった高齢者ドライバーにとってクラッチ操作が不要なオートマチック車は生活必需品でもある。その一方でシフトレバーの操作1つで後進してしまうため、後進状態であること知らせる警報音が設けられるようになった。
アクセルとブレーキの踏み間違いについては、踏み間違い加速抑制装置などが取り付けられるようになったが、普及はしておらず、小さな移動物にはセンサーが機能しないおそれもあり、当面のところドライバー自身が注意する他に有効な事故防止策がない。
自動車の乗員保護機能の向上、ASV(先進安全自動車)の普及により、交通事故死者数は統計開始以来最小を更新し3000人を下まわるようになった。しかし、センサー類の反応で判断し、自動車の実状況で危険を認知しようとしないドライバーもまた増えている。
自動車に限らず、便利になることでその分の失うものを補えるだけの進化を人に求めることは社会構造そのものと言える。携帯電話が普及することで、いつでも連絡が取れるようになると、自分で考えて判断する、連絡がつかない時の予備策を講じるなどをしない社会人が増えてきた。また、上司が部下に仕事を任せないことが散見されるようにもなった。
一度享受した便利さを人は手放すことはできないし、進化していく方向以外に選択肢はない。しかし便利さを享受できるだけ進化したならば、人の能力は前世紀の何倍も高めることができる。便利さがもたらした事故から学び、安全なクルマ社会を実現させる希望もここにある。
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