北欧の個性派も思い出の中に「サーブ」
スウェーデンの軍用航空機メーカーSAAB(Svenska Aeroplan AB【スウェーデン航空機会社】)の自動車部門として1937年に誕生したのが自動車のSAAB(サーブ)ブランド。航空機開発で培った技術を導入して作られたクルマは、そのどれもが独特の個性を持っていた。
サーブ車の販売は日本国内でも行われていたが、後述するサーブ本社の経営破綻をうけて2012年には日本への輸入が事実上終了してしまう。そしてサーブブランドそのものも消滅する運命を歩んだ。
スウェーデン企業だったサーブは、1990年代にはアメリカのGMグループに買収され、さらに2010年にはオランダのスパイカーカーズに売却となる。それでもサーブの営業不振は続き、2011年には破産申請が行われた。
その後2012年にはナショナル・エレクトリック・ビークル・スウェーデン(NEVS)がサーブを買収。スウェーデンメーカーによるサーブの復活が期待されたが、同社はブランド名をNEVSに一本化し、サーブの名称を使用しないことを決定。これで自動車におけるサーブの歴史に幕が閉じた。
アメリカンモータースポーツの精鋭「サリーン」
1983年にアメリカで誕生したサリーン・オートスポーツ。それまでレースカーのチューニングで活躍してきたスティーブ・サリーンが設立したメーカーは、当初はレースカーのオリジナルチューニングパーツを販売していた。
やがてそのチューニングはマシン全域に及び、フォード マスタングをベースにしたコンプリートカー・サリーンマスタングのリリースも開始した。
こうして実績を重ねたサリーンは、2001年、ついに自社オリジナルのスーパーカーとなるS7を完成させて自動車メーカーとしての一歩を踏み出した。このS7はレースでの使用も視野に入れて開発され、実際に世界各国のレースで活躍している。
そのサリーンは2005年から日本の総代理店によって輸入販売がスタートし、マスタングをベースにしたS281などがリリースされた。そしてあの“キムタク”ことタレントの木村拓哉もS7を所有していたことがあるという。
サリーン製モデルは一般的なメーカーほどの流通数はなかったが、性能とスタイルのよさなどから評価を得ていた。しかし2009年には国内代理店が倒産してしまう。アメリカのサリーン本社に落ち度はなかったにもかかわらず、これでサリーンの国内販売がほぼストップしてしまった。
現在もサリーン本社は精力的にモデル開発やレース活動を続けているが、日本国内ではごく一部のモデルがショップや個人などの輸入で走っているのみ。クルマ自体の魅力は高く、正式な販売が望まれるメーカーのひとつといえる。
今回紹介したメーカーが日本市場から撤退した理由はさまざまであり、再び日本上陸を試みるメーカーもあれば、メーカーそのものが消失してしまったケースもある。多様性が叫ばれるこの時代に、日本国内でも個性的な輸入車が増えることを期待したい。
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