国内のいすゞはトラックやバスのみだが、海外は未だ乗用車も販売中。日本復活は実現しそうにないが、今見ても117クーペやビークロスなどなど名車ぞろいなのはご存じの通り。そこでいすゞ乗用車の歴史を一挙に。
文:佐々木亘/写真:ベストカー編集部
■トヨタや日産と同格だったいすゞ
いすゞの四輪自動車生産の歴史は古く、1930年代まで遡る。特にディーゼルエンジンの分野に強かったいすゞは1953年に乗用車生産に進出した。トヨタ・日産とともに、日本の「自動車御三家」と言われたこともあるメーカーだ。
しかし、クルマの実力は高かったのだが、販売施策が軌道に乗らず、1993年には1BOXとSUVを除く乗用車の自社開発・生産から撤退する。そして2002年には国内の乗用車部門からは完全撤退してしまった。
その後、トラック事業は復権し、2022年の普通トラック年間販売台数では、10年ぶりに首位に輝く。バブル景気や平成不況のあおりをモロに受けてしまったいすゞだが、その成長期に製造された乗用車が、目を見張る出来なのだ。
■父の憧れ117クーペ、子の憧れジェミニ
1953年に登場したヒルマンミンクス(完全ノックダウン生産)を皮切りに、ベレル・ベレット・フローリアンと乗用車の販売を続ける。そしていすゞのフラッグシップにのし上がり、憧れの対象になったのが1968年に登場した「117クーペ」だ。
車両コンセプトからデザイン・パッケージングは、イタリア人デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロが担当し、当時の国産車の中では異彩を放つ存在であった。
さらに1974年に小型乗用車のジェミニを発売する。この2代目モデル(1985年~1990年)が、世の子供たちの憧れの存在となった。5,60代はもとより、現在のアラフォー世代もよく覚えているだろう「街の遊撃手」のCM。パリの街を2台のジェミニがペアのアイスダンスを踊っているように駆け抜ける。
特に片輪走行のまま並走を続けるCMが、アニメ番組の放送時間帯に流れており、当時の子供たちはジェミニの動きに驚愕した。「うちのクルマはジェミニだぞ」と威張る子供もいたほどだ。
117クーペ・ジェミニに共通するのは、デザイナーがジウジアーロであることと、本格的なスポーツカーであったこと。いすゞのこだわりの強さと高い技術力を感じられるクルマである。
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