■「アコード」というクルマを振り返る
アコードは、1976年にシビックの1クラス上のモデルとして登場した初代モデル以来、いかにも売れそうな車格ということともありプラットホームの展開も含め、ホンダにとってはシビックと並ぶ極太の大黒柱、基幹車種という重要な使命を持ったクルマだ。
またアコードは基幹車種だけに、クルマを広い視野で見た際、技術的ともに先進的なクルマでもある。前者に関しては、アコードは初代モデルからアメリカで大人気だったのだが、アコードのように日本から輸出される日本車の人気がアメリカ車の販売不振、貿易摩擦につながっていたのも事実だった。
そのため、ホンダは1982年にアコードのアメリカでの生産を開始。今では当たり前となった現地生産の先駆者となり、現地での雇用創出など多くのメリットを生んだ。
技術面に関しても、2代目モデル(1981年)では世界初のカーナビ的なものの搭載、リトラクタブルライトの3代目モデル(1985年)のFF車では世界初の四輪ダブルウィッシュボーンサスペンション、現行モデルの2モーターハイブリッドなどが思い出される。
また歴代堅実なクルマだったことや、6代目と7代目モデルはボディサイズやエンジンバリエーションなど、各国に合わせたきめ細かい造り分けがされていたこともあり、アメリカでは常に販売台数上位をキープ。また近年ではサイズの大きいセダンが好まれる中国などでも人気車となっている。
日本での人気は、スタイリッシュな3代目モデルが頂点だったが(3代目モデルのモデルサイクル後半で登場した、アコードクーペは初の海外生産の日本車だった)、1989年登場の4代目モデル以降もステーションワゴンがアコード人気を支え、1993年登場の5代目モデル以降はSiR(5代目と6代目。5代目は当時のJTCCでもチャンピオンを獲得)、6代目と7代目のユーロRが万能なスポーツセダンとしてファンが多かった。
アコードは、7代目までは日本でも同社のオデッセイなどのミニバンが台頭しながらも、一応の販売台数をキープしていた。しかし、リーマンショックによる不景気の影響もあり、全幅が1840mmと大幅に広がった2008年登場の8代目モデルで、一気に販売台数が落ち込み、この流れは現行9代目モデルになっても歯止めが掛からず現在に至る。
現在日本向けのアコードは、ホンダが最高級車のレジェンドのように伝統や意地のように造り続けているという印象も否めない(それでも廃止にしないというのは立派なことともいえるが)。
次期モデルも含み、実用的な大きなセダンであるアコードに対し日本向けの配慮を要望するのは、日本で売れる台数を考えたら無理な注文と考えるべきだろう。
しかし、アコードが人気車だった時代があることも考えると、かつてのアコードのようなポジションのホンダ車がないのも、寂しいというか悲しいことでもある。この点に関しては、アコードよりは日本向けのボディサイズとなるシビックやインサイトに、日本向けの配慮を期待する方が現実的なのではないだろうか。
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