■日本のGTの進化は海外のGTへの挑戦

1967年、トヨタが放った究極のGTが「トヨタ2000GT」。トヨタで初めてGTを名乗ったモデルではあるが、流麗な2ドアクーペスタイルは、GTカーというよりもスポーツカーという雰囲気。
2シーターというパッケージングなので、本来はGTではなく、やはりスポーツカーと呼ぶべきクルマなのかもしれない。クラウンなどに搭載された直列6気筒2LエンジンをDOHC化した150ps/18.0kgmの3M型エンジンを搭載。
これ以降、トヨタはDOHCエンジン搭載モデルに「GT」のグレード名を与えることが通例となった。
例えば、セリカ1600GT、カローラGTなどに始まり、1980年代に入ってDOHC車が増殖した時代もソアラ2.8GTなど、トヨタは車型に関係なく、高性能エンジン搭載車=GTという解釈でユーザーにアピールをした。
1966年10月に実施された2000GTのスピードトライアルのドライバーも担当した、当時のワークスドライバー津々見友彦氏は「レースカーはとても速かったけれど、市販仕様の2000GTはそれほど速いクルマという印象はありませんでした」と当時を回顧。
「ハンドリングは軽快で、キビキビした走りを楽しめました」と言ういっぽうで「乗った感じはいまのトヨタ86みたいに感じ。面白いクルマではありましたけど、GTというにはもうちょっとパワーが欲しかった」という。
2000GTは337台を生産して1970年8月に生産を終了したが、前述のスピードトライアルで13カテゴリーで記録を樹立し、海外のスポーツカーに負けない実力をアピールした。
その後、1973年のオイルショック、排ガス規制などにより日本の自動車は性能よりも排ガス対策が優先されることとなり、1980年代に入るまではGT暗黒期といえる時代が続く。
ここに燦然と輝く存在として登場したのが1978年に登場したマツダRX-7(SA22C型)。GTというよりも完全にスポーツカーと呼ぶべきクルマだが、コンパクトな2ドアボディにリトラクタブルヘッドライトのルックスはポルシェ924のような佇まい。
一部ではプアマンズポルシェなどとも呼ばれたりしたが、130ps/16.5kgmの12A型ロータリーエンジンを搭載しパワーウェイトレシオ7.6kg/psで、これは当時としては圧倒的な数値。1983年にはロータリーターボ搭載モデルも追加された。

日本のGTカーが確実に外国勢に対峙できると確信を持てたのは、1981年に登場した初代ソアラである。
6気筒エンジンを搭載する4シーター2ドアクーペで、これはBMW6シリーズなどを意識したパッケージング。つまり、欧州的スポーツGTを目指したのがソアラで、実際の走り、インテリア、質感などもGTを名乗るにふさわしいものだった。
トップモデルの2.8GTは170ps/24.0kgmの2.8L DOHCを搭載。その後145ps/21.5kgmの2Lターボ搭載車が追加され、1983年のマイチェン時には直6、2L DOHC24バルブの1G-Gエンジン(160ps/18.5kgm)を搭載する2.0GTが追加されラインアップが充実するとともに、GT度が進化した。
ソアラは1986年には2代目へと進化して3Lターボが登場するなど、この時代、欧州のGTカーに肩を並べるパフォーマンスを身につけていったのだ。
この時代、マークII/クレスタ/チェイサー3兄弟にもソアラと同じく1G-G型エンジン搭載車が設定され、さらには2Lツインターボ車も登場するなど、日本のGTカーが急速に進化を遂げ、一部では欧米のGTカーをリードすることも珍しくなくなった。
そして日本のGTカーが確実に世界に肩を並べ、いや超えたと確信したのは1989年のR32GT-Rのデビュー、そして翌1990年のホンダNSXのデビューだろう。
NSXはGTカーではなくスポーツカーだが、初代セルシオと並び、この3車は日本の自動車が世界に影響を与えるようになった、幕開けのクルマたちである。
(写真、内容はすべて『ベストカー』本誌掲載時のものですが、必要に応じて注釈等を加えている場合があります)




コメント
コメントの使い方叔父がいすゞの営業で、下取りのベレGが私の最初のクルマでした。5000rpmまでモリッと回り、その上でアタマ打ち、ブレーキがプアで有鉛ハイオクなので添加剤と無鉛ハイオク、もちろんクーラーなんて無かった。
でもクルマを自分で手を入れて管理、修理する基本を教えてくれた名車かなと。
正直なところ、今のデカいモニターの付いたブラックボックスだけのクルマに興味は無いですね、多分老害と怒られるだろうけど。