日産の名車と言えば、フェアレディZ。1969年から今なお続くZのDNAは、日産というメーカーの屋台骨にもなっているはずだ。長きにわたるフェアレディZの歴史の中で、日産の酸いも甘いも知っているのが4代目となるZ32型である。バブル絶頂期から日産の経営悪化までを見届けてきた、フェアレディZを紹介していこう。
文:佐々木 亘/画像:日産
【画像ギャラリー】スポーツカーに乗ろうと思う。こんな心くすぐられるフレーズないよなぁ(8枚)画像ギャラリー誕生から絶版まで激動の11年を過ごしたフェアレディZ
1989年に登場した4代目フェアレディZ。先代から続くロングノーズ・ショートデッキを改めて、現在のスポーツカーにも通じるロー&ワイドを基本デザインに据える。ボディサイズは拡幅され、全タイプが3ナンバーサイズになったのもここからだ。
心臓部には圧倒的な高出力と中低速域における高トルクを両立し、高回転域まで一気に吹けあがるシャープなドライバビリティを実現した、V型6気筒3.0Lエンジンが搭載される。
VG30DEをベースに、シリンダーヘッドや吸排気系、シリンダーブロックやクランクシャフトなどの骨格部分までを新設計とした、Z32型専用のエンジンだ。
このエンジンにツインインタークーラー付ツインターボチャージャーを搭載したVG30DETTは最高出力280PSを誇る。なお、輸出仕様は300PSを発生しており、4代目フェアレディZから、日本の自動車メーカーが実施することとなった280PS自主規制がスタートした。
1992年にはコンバーチブルを追加し、1998年にはマイナーチェンジを施される。その2年後となる2000年には生産終了となった。
この間、日本経済はバブル景気の最盛期を迎え、バブル崩壊へと進む。その後の平成は「失われた10年」と言われる不景気へと突入することになる。日産自動車の経営が危ぶまれたのもこのころだった。
【画像ギャラリー】スポーツカーに乗ろうと思う。こんな心くすぐられるフレーズないよなぁ(8枚)画像ギャラリー稀代の名コピーはフェアレディZのシンボル
Z32型フェアレディZを語る上で、欠かせないコピーがある。フルモデルチェンジした際のカタログの、最初の見開きページに記され、マイナーチェンジ後のカタログにも記載された多くの人が知る、アレだ。
「スポーツカーに乗ろうと思う。」
このフレーズを、幾多のお父さんが家庭内で宣言し、奥様に軽くあしらわれたことだろうか。ド直球なキャッチコピーなのだが、四半世紀以上が経過する今、改めて字面を見るとなんてカッコいい一言なのだろうと思えてくる。
しっかりと句点で絞められているのも、キャッチコピーとしての美しさを引き出しているだろう。
さらに、当時のカタログをめくっていくと、この一言から20ページもの間、一切のフレーズや説明なしに、フェアレディZの写真がこれでもかと続くのだ。それは、自分はカタログを開いているはずなのだが、写真集と間違ったのだろうかという疑問が湧いてくるほど。
そして圧倒的な量の解説文を経て、43ページにもわたる濃密なカタログが終わりを迎える。この解説文は、マイナーチェンジ後のカタログではテクノロジーノートという別冊付録のようになっているから、また面白い。
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