かつて日本には「ハコ車」と呼ばれるクルマがあった。ワンボックスのことじゃない。トランクのあるセダンをクーペに対してこう呼んだのだ。ケンメリスカイラインやブルーバードなど、傑作ハコ車は日本にもあるが、ここでは海を渡ってやってきた、しびれるほどカッコいい史上初の量産ターボ車を紹介したい!
文:ベストカーWeb編集部/写真:BMW
911ターボより早くターボを搭載した量産車
時代は1970年代に遡る。当時のクルマは急速な進化の途中にあり、エンジンの高効率化も大きなテーマだった。パワーアップの手段のひとつとして注目を集めたのが、ターボチャージャー(ターボ)だ。
ターボチャージャーとはなんぞやというと、エンジンの排気エネルギーの力でタービンを回し、燃焼室により多くの空気を送り込む装置。たくさんの空気があればたくさんの燃料が燃やせるので、エンジンがパワーアップできるわけだ。
そもそもターボ技術は20世紀初めに発明され、当初はディーゼルエンジンと結びついて船舶用に使われた。第1次、第2次世界大戦中は空気の薄い空で使われる航空機エンジンに採用されるようになり、独ユンカースや米ロッキードなどが優れた航空機用ターボエンジンを生み出している。
そんなエンジンを作っていた会社の一つが、BMWだ。同社は戦後乗用車生産に乗り出し、苦難の末にノイエクラッセという人気シリーズを生み出す。なんとかしてその人気を確たるものとしたい。それには高性能の象徴となるスポーツモデルが必要だと考えた。
そこでBMWは1966年、02シリーズという2ドアセダンを発表する。BMWはこの02シリーズの高性能化に熱心で、排気量をアップしたり(1600>1800>2000)、キャブレターに代わる機械式燃料噴射装置を採用(2002tii)したりする。
そんな高性能化にトドメをさす技術はないか。そこでBMWは、かつて航空機エンジンで培ったターボチャージャーを思い出した。これさえあれば圧倒的なパワーアップが実現できる。こうして誕生したのが02シリーズの最終兵器、2002ターボである。
【画像ギャラリー】写真大量! 誰もがあこがれた「反転Turbo」ステッカーもここからチェック!!(20枚)画像ギャラリーハコスカGT-Rを上回る170psを発生!
この2002ターボ、日本の昭和世代はマルニターボと呼んだ。登場したのは1973年。その姿をひと目見た瞬間、クルマ好きはカッコよすぎて息が止まりそうになった。
2ドアモデルだけに2002はもともと端正なプロポーションだったが、マルニターボはさらにフロントスポイラー(チン(=あご)スポとも呼んだ)とオーバーフェンダー(本国ではビス止めだったが日本では車検通らずパテ処理)で武装し、トランクエンドには小ぶりなリアスポイラーまで装着していたのだ。
そして肝心なのがエンジンだ。マルニの2LエンジンはDOHCでもなかったが、前述の機械式燃料噴射装置+ターボチャージャーの威力は強烈だった。そのスペックはハコスカGT-Rを凌ぐ170ps&24.5kgm。最高速は211km/hに達し、BMWの格上モデル3.0CSに並ぶ速さを誇った。
もうひとつ、マルニターボで忘れてはならないのがターボの反転ステッカーだ。2002ターボのフロントスポイラーには「Turbo」の文字が反転されて貼られていた。これは前走車のミラーに映ったときに高性能をアピールするためと言われたが、実際には位置が低すぎて、そんな効果があったかは分からない。
しかしこのステッカーの刷り込み効果はすごかった。後に日本車にもターボブームが訪れたとき、クルマ好きはセド/グロやスカイラインに、こぞってこのステッカーを貼ったものである。
衝撃を持って迎えられたマルニターボだが、その生涯はいいことばかりではなかった。BMWはパワーアップとともにターボの経済性をもアピールしたが、当時の燃料噴射では緻密な制御ができず、燃費は一ケタ台に留まった。
なによりも不幸だったのは、2002ターボのデビュー直後に、第1次石油ショックが起きたことだ。石油価格の高騰によって自動車のパワー競争は急速に失速し、マルニターボは行き場を失った。結局、史上初の量産ターボ車は、わずか1672台が作られただけで、モデルライフを終えたのである。
しかしこんなストーリーをもってしても、このクルマの価値は変わらない。2002ターボ発売と同じ年に試作車が公開された911ターボ(発売は1975年)とともに、ターボのパワーを世に知らしめた、歴史に残るクルマといえよう。
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