2014年3月28日、三菱はランサーエボリューションを現行の「X」限りでの生産終了することを明らかにした。歴代モデルやマイスターたちの声・証言を元に、その偉大な軌跡を振り返った。(本稿は「ベストカー」2014年5月26日号に掲載した記事の再録版となります)
文:竹平素信、古賀敬介、中谷明彦、山内伸弥、編集部/写真:平野 学/取材協力:関東三菱自販戸塚店 ※店名は当時のものです
いまだに走りは国産スポーツ最高峰じゃ!

「行く春や鳥啼き魚の目は涙」(春がまさに暮れようとし、惜春の情ゆえか鳥の鳴き声も愁いに満ち、魚も目が潤んでいるように見える。そんな折、自分もまた離別の悲しみをこらえて新たな旅立ちを迎えるの意ー松尾芭蕉『奥の細道』より)
あのランエボXが年内に生産終了されることになった。そうなったら黙っていられないのが「エボ親父」、竹ちゃんである。そこで、ここで改めてランエボXに試乗してもらい、送別の言葉を綴ってもらった。
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今回、久々にエボXに乗ったが、やはりトータルの走りの性能がすばらしい! こんなクルマがなくなるのは実に惜しい。悲しいことだが、それも三菱の事情を考えればやむを得まい。
ランエボは三菱の看板モデルであり、初代エボIの1992年デビュー以来、国内と海外のラリーで大活躍してきた。その結果はいうまでもなくランエボが世界最強のスポーツ4WDとして認知され、ラリーファンのみならずクルマ好きに愛されてきた。
そう、三菱といえばランエボだったのだ。そんなことは三菱だって充分理解しているはず。
しかし、ワークスとしてのラリー活動を中止し、さらにモータースポーツ部門のラリーアートが消滅してからというもの、「三菱=ランエボ」のイメージも徐々に薄れてしまった。
この原因が三菱の経営不振だとしても残念でならない。世界中のランエボファンは次なるランエボを望んでいると思うが、それを一番願っているのがこのワシなのだ。
ベストカー読者はご存じかもしれんが、ワシのラリー人生で最も長くつきあってくれたのがランエボ。
22歳でラリーにハマり、最初のラリー車はたまたま初代コルトギャランだったが、その後歴代レビン/トレノ、初代MR2などを乗り継ぎ、ラリーがスポーツ4WDの時代にはファミリアターボ、セリカGT-FOUR、パルサーGTI-Rを乗り継いできた。そして1992年、ついに初代ランエボIが登場したのだ。
コンパクトなボディに、当時クラス最強だったギャランVR-4の2Lターボとフルタイム4WDを積んでいたのだから誰もが「これぞ最強のラリー車」と思ったものだ。
同時期にライバル関係を長く続けることになるインプレッサWRXも登場したが、ワシはランエボをチョイス。戦闘力は期待どおりでラリー界にランエボが一気に増殖した。
それからというもの、モデルが進化するたびに乗り継ぎ、気がつけばエボIXまできてしまった。おかげで「エボ親父」と呼ばれるほどランエボとは一心同体でラリー活動をしてきた。
それだけにランエボは世界一のスポーツ4WDだったと明言したい。
4輪の駆動力をコントロールしやすいトルクフルでハイレスポンスな4G63ターボ、タフなボディと強力な4WDシステムはモデルごとに進化し、パワフルでエキサイティングな走りを提供してくれた。プライベーターにとってはリーズナブルな価格だった(特にRSグレード)のも愛された理由だったと思う。
ランエボがこれで終わりとは思いたくない。いつかは次世代ランエボとして復活すると期待している。それがEV、ハイブリッド、あるいはディーゼルだとしてもいいではないか。
その頃にはワシが現役復帰するのは無理かもしれないが、今の若者にランエボのすばらしさ、愉しさを味わわせてほしい。ランエボは不滅であってほしいのだ。
三菱の技術力もさることながらランエボにかけるスタッフの情熱があってこそだったと思う。ランエボには「長年の間、ありがとう」と言いたい。世界のファンも同じ気持ちだろう。
(TEXT/竹平素信)



























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