歴代ランエボシリーズ偉大なる系譜
1992年に初代ランエボIが限定車として登場して以降、2007年にデビューした現行ランエボXまで現在までに4世代計16モデルものランエボが生まれてきた。
第1世代は4代目ランサーベースのI~IIIまでで、エンジンはエボIの250ps/31.5kgmからエボIIで260ps、エボIIIでは270psまで進化した(最大トルクはI~IIIまで変わらず)。この世代ではエアロが派手なエボIIIが人気を集めている。
ランエボシリーズ最大のハイライトが第2世代で、ベースはスポーティな5代目ランサー。エンジンはエボIVでついに280ps/36.0kgmとなり、続くエボV~VI TMEまでは280ps/38.0kgmに進化。WRCで1998年に三菱がダブルタイトルを獲得したことも合わせ、ランエボ人気は頂点に達した。
第3世代はボディを先代のランサーセディアベースとしたエボVII~エボIX MRでは、シリーズ初のAT車(エボVII GT-A)やワゴンを設定。特に当時のラリー予算を投入して価格を抑えたといわれたエボVII(当時で299万8000円)は歴代最高の販売台数を記録。
そして現行型ランエボXはランエボシリーズ初のカタログモデルとしてデビュー。
歴代最強モデルにふさわしく、エンジンが最新の4B11ターボ、ツインクラッチのSST、S-AWCなどハイテクデバイスを搭載して登場したが、車格や価格がアップしたことなどもあり、販売的にはさほどふるわなかった。

(TEXT/編集部)
ランエボがラリー界に残した功績とは!?
もしもこの世にランサーエボリューションが存在しなかったら、1990年代のラリーはあれほど盛り上がらなかっただろう。
日本、そして海外のラリー界でランエボはあの時代になくてはならぬクルマだった。多くのドライバーがランエボでハイパワー4WDマシンの走りを学び、未知なるコーナリングスピードの世界を知った。
同じ時代にインプレッサWRXやランチアデルタといったターボ4WDマシンも確かに存在したが、ランエボの扱いやすさと4G63エンジンの耐久性の高さは特別で、それは発展途上であまりお金がないラリードライバーにとって非常に有り難い存在だったのだ。
1990年代中~後半のWRCはグループAマシンが中心。ラリーカーのパフォーマンスを上げるためにはベース車の進化が必須だった。それが故に必要に迫られてランエボはどんどんいい車になり、結果的にグループAの下に位置し、改造範囲が狭いグループNマシンの進化にもつながった。
トップカテゴリーで勝つために市販車がよくなり、それが一般的なモータースポーツのユーザーにもフィードバックされる。ランエボはすばらしい循環を生み出していたのだ。
もともと丈夫なマシンであるうえ、当時はまだ独立した組織だったラリーアートが全世界へのデリバリーに力を入れたことで、ランエボは世界の広い範囲で受け入れられ、各国のラリー選手権で大活躍した。
もちろん、インプレッサWRXも多くの国のラリーで使われていたが、耐久性とサポート体制のレベルの違いから比較的最近までユーザーの支持は圧倒的にランエボのほうが高かった。
アマチュアドライバーにとって、グループAマシンに近い性能と外観のマシンでラリーに出られるというのは、まるで夢のようなことだったのだ。
各国の国内格式レベルのラリーではいまだに数多くの古いランエボが元気に走っていて、改めてラリー界に残した功績の大きさを実感する。
ただし、1990年代の終わりにWRCがグループAからWRカーの時代に完全に切り替わると、ランエボの進化には必然性がなくなってしまった。エボIX系まではまだラリーカーとしての存在意義があったが、エボXとなりボディが大きくなると目的の純粋さが少し薄れてしまった。
もちろんエボXもラリーカーとしての性能は充分に高く、それをグループN化したマシンはインプレッサと互角に戦ったが、ラリーというフィールドに限定するならば必ずしも理想的なマシンとはいえなくなっていたのは事実である。
高性能で、比較的コンパクトで、そしてリーズナブルというのがラリーでランエボが愛された理由だ。大きく、重く、高くなってしまったランエボが消えゆくのは、ラリー的視点から見るとしかたのないことなのだ。
三菱にはもう1度ラリーにマッチした魅力的なクルマを作って欲しいと思うが、現代においてそれは小型なBセグメントのミラージュをベースにしたものがベストだろう。ランエボには長い間ラリー界を支えてくれたことを感謝し、手を合わせて送り出したいと思う。
(TEXT/古賀敬介)









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