現行モデルの登場以来5年目となった今年に入ってから、若干の失速感は否めないが、ハイブリッドカーのパイオニアであるトヨタ「プリウス」の人気はつねに登録車の月間販売台数ランキングベスト10をキープするなど堅調だ。
しかし、1997年に初代モデルが登場したプリウスがたどった四世代、23年間の軌跡は決して平坦なものではなかった。
当記事ではプリウスの歴史を振り返り、プリウスというクルマが残した功罪も考察していく。
文/永田恵一
写真/TOYOTA
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■初代プリウス(1997年)
初代プリウスの原点は、トヨタ社内で1993年に検討が開始された「21世紀のクルマ」という議論である「G21プロジェクト」だ。
G21プロジェクトでは21世紀にふさわしい未来的なクルマの提案に加え、地球温暖化や石油の枯渇に対する対応として(当時のカローラに対して)「燃費2倍」という目標も掲げられた。その際に「燃費2倍」の大きな達成手段として選ばれたのがハイブリッドである。
初代プリウスは、1995年の東京モーターショーにコンセプトカーが出展された。この時は、スタイルこそ市販車に近い雰囲気があったが、ハイブリッドシステムは直噴エンジンにCVTを組み合わせていた点など、市販車とはまったく違うものだった。
その後の市販車の開発はハイブリッド専用車とすることや、現在のトヨタ2モーターハイブリッドの基礎となる、駆動用と発電用のモーターをトランスミッションではない動力分割機構を使って切り替える「THS」の採用に加え、市販化までの期間が約2年と短かったのもあり困難の連続だったという。
そういった道のりを経て、1997年12月に誕生した初代プリウスはハイブリッド化による28.0km/Lというカタログ燃費(当時の10・15モード)に加え、未来的な内外装のデザインやパッケージングなど、コンセプト通りのクルマだった。さらに価格も「21世紀にゴー」に由来する215万円からと、現実的なものだったことも大きな注目を集めた。
初代プリウスは、2000年5月にはハイブリッドシステムの動力性能と燃費の向上やバッテリーの小型化といった、普通のクルマならフルモデルチェンジ以上の大改良となるビッグマイナーチェンジを受けるなどしながら、10・15モード燃費は最終的に31.0km/Lにまで向上した。
また初代プリウスの初期モデルは、駆動用バッテリーなどトラブルも少なくなかったと聞く。しかし、トヨタはトラブルに対し迅速な対応体制を用意したほか、初代プリウスの初期モデルの駆動用バッテリーは「最初にプリウスを買っていただき、育ててもらった感謝」という意味も含め、永久保証にするといったユーザーへのケアも抜かりなかった。
だが、初代プリウスの輸出向けも含めた生産台数は、6年間のモデルサイクルで15万台に達しておらず、トヨタ車としては成功したとは言えなかった。
それも当時はレギュラーガソリン1Lが100円程度、カローラの標準的なモデルは150万円という時代であり、燃費のよさでカローラと初代プリウスの差額をペイするというのは絶望的だった。といったことを今になって考えると、新しい技術を盛り込んだクルマや環境問題によほど関心のある人以外が、初代プリウスを選ぶことは非常に少ないというのも理解はできる。
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