クラウンだけが売れる理由 名門セダンはなぜ見限られた?

クラウンだけが売れる理由 名門セダンはなぜ見限られた?

 4ドアセダンが売れないと言われて久しい。いまは、SUV人気である。ミニバンも5ナンバークラスは底堅く、軽自動車ではスーパーハイトワゴンが圧倒している。

 その状況下で、トヨタ クラウンは孤軍奮闘といった様相で、2019年の年間販売台数は3万6125台となり、日本自動車販売協会連合会の乗用車ブランド通称名別順位で26位に位置している。

 これに対し、日産やホンダその他の自動車メーカーの4ドアセダンは、ベスト50に顔を見せていない。しかも4ドアセダンに何があったか、思い出そうとしてもすぐ目に浮かびにくいのではないか。

 日産なら、スカイラインやフーガがある。ホンダには、アコードやレジェンドがある。マツダではマツダ6があり、マツダ3にもセダンはある。スバルにはレガシィがあり、インプレッサにG4もある。

 では、なぜクラウンだけが堅調な販売を継続できているのか。

文:御堀直嗣
写真:TOYOTA、NISSAN、編集部、SUBARU

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国産各社の名門セダンとその「変化」

 第二次世界大戦後の1955年に、トヨペット クラウンが誕生。以来クラウンは、トヨタの最上級4ドアセダンと位置付けられてきた。

 トヨタがこだわったのは、米国のシボレーやクライスラーを手本としながら、国産技術により独自開発をすることであった。

最終型のセドリック。グロリアとともに長年クラウンの好敵手だったが、フーガにバトンを託し消滅。そのフーガも月150台程度の販売台数に留まる

 日産 セドリックは、5年後の1960年に生まれた。日産は日本で早くからクルマの製造を行ってきた一社だが、海外の技術を応用することを厭わなかった。

 のちに日産と合併するプリンス自動車工業は、1952年にプリンスセダンを発売。これが1957年からのスカイラインとして受け継がれることになる。日産との合併後の1971年にセドリック/グロリアとして販売されるグロリアは、1959年に誕生した。

 日産セドリック/グロリアは2004年で終了し、替わってフーガが登場した。フーガは米国でインフィニティの車種として販売される。

2020年2月に日本上陸した新型アコード。グローバルでは稼ぎ頭の実力派ながら日本ではやや地味な存在に

 ホンダ アコードは、大衆車の一角として人気を得たシビックの上級車として、1976年に誕生。2代目から米国で販売をはじめ、人気を高めた。

 1982年に米国オハイオ州でアコードの現地生産を日本の自動車メーカーとして最初に手掛け、現地に根付く取り組みも進めている。

 やがて同じアコードといえども、USアコードと国内や欧州向けのアコードがそれぞれ別車種となり、一つの車種としての位置付けがあいまいになった。

トヨタ以外の国産セダンに共通する「グローバル化と大型化」

スバルのフラッグシップセダン「レガシィB4」。日本市場では今年6月に注文受付を終了し、モデル廃止が決定している

 マツダ6は、カペラとして誕生し、当初は国内の上級4ドアセダンの位置づけであった。のちにアテンザへ車名が変更されるが、カペラの時代から、海外ではマツダ626と呼ばれ、現在はマツダ6へと車名を世界統一した。

 スバル レガシィは、レオーネ時代から採用をはじめたフルタイム式四輪駆動とガソリンターボエンジンを搭載したツーリングワゴンが人気を主導したが、3代目から4ドアセダンをB4と呼んで販売を伸ばした。

 4代目から3ナンバー車となり、ことに5代目からは米国での発表を先に行うなど、さらなる大型化により米国重視の商品企画となって、国内でのレガシィ離れを誘発した。

 日産、ホンダ、マツダ、スバルの取り組みで共通するのは、次第にグローバルカーの位置づけとなって、主力となる米国市場に最適な車体寸法や、外観の造形を用いた車種へ変容し、国内の消費者が興味を失うことに無頓着であったことだ。

 とはいえ、クラウンも3ナンバー化し、大型化したのは事実である。単に寸法の拡大が消費者離れを起こしたわけではない。

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