プロドライバーたちがレースではなく、クルマをつかって本気のバトルする。今だったら信じられないような番組がある。ご存知『ベストモータリング』だ。だが、そのなかでもさらにぶっ飛んでいたのが通常なら同じ土俵に立たないマシンたちが筑波でぶつかる「異種格闘技バトル」企画。そんな激アツなバトルの裏側を当時、参戦していたプロドライバー中谷明彦氏が語る。
文:中谷明彦/写真:ベストカーWeb編集部、富士スピードウェイほか
【画像ギャラリー】いまだに語り継がれる1997年の伝説のバトル! ベスモ名物「異種格闘技戦」に参戦した車種たちがコレ!(10枚)画像ギャラリー世界に影響を与えた日本のカー番組
『ベストモータリング』と聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは「バトル」ではないだろうか。
新型車が登場すればライバル車を集め、筑波サーキットで実際にレース形式で競わせる。当時としては前例のないバトル企画は日本だけでなく海外のクルマ好きからも熱狂的な支持を集めた。
あえて「レース」ではなく「バトル」と呼んだのも理由がある。勝敗だけではなく、動力性能、ブレーキング、コーナリング、タイヤの限界、ハンドリング、耐久性まで含めて、クルマ本来の実力を映像で伝えることが企画の目的だったからだ。
紙媒体が中心だった時代、誌面だけでは伝え切れなかった挙動やドライバーの操作、タイヤスモーク、エンジンサウンドまでも映像で見せられることがベストモータリング最大の魅力だった。だから車を託される我々キャスターも、車両を貸し出してくれるメーカーも真剣だった。「ゼロカウンター」や「マシンガンシフト」といった名シーンが生まれたのも、すべて本気で走っていたからである。
そんな数あるバトル企画の中でも、特に印象深いのが年に一度程度開催されていた「異種格闘技バトル」だ。今回は1994年に筑波サーキットで行われた伝説の異種格闘技戦の裏側を紹介したい。
「違うレースを戦うクルマが競ったらどうなる?」を実際にやる
「異種格闘技」とは、本来ならライバルにならないカテゴリーのクルマ同士でバトルを戦わせる人気企画だった。スポーツカー、セダン、ワゴンなど性格の異なるモデルが一堂に会し、純粋な速さを競う。
ところが1997年はさらに大胆だった。集められたのは、市販車ではなく実際に国内レースを戦っているレーシングカーばかりだったのである。
GT500クラスのセルモ・スープラを土屋圭市キャスター、全日本ツーリングカー選手権を戦うムーンクラフトJACCSアコードを服部尚貴キャスター、フェラーリF355チャレンジをガンさんこと黒澤元治キャスター、ポルシェGT2レーシングを黒澤琢弥キャスター、スーパー耐久仕様のR32 GT-Rを桂伸一キャスター、プリンス千葉R33 GT-Rを大井貴之副編集長、そして自身は実際にN1耐久(現スーパー耐久)シリーズ参戦していた三菱 プーマGTOを持ち込んだ。
これほど本格的なレーシングカーが一堂に集まること自体、当時としても極めて珍しい企画だった。
イマなら信じられない!? ガチレーシングカーでガチバトルの緊張感
レーシングカーは、市販車のようにキーを回して走り出せるものではない。トランスポーターで運び込まれ、メカニックが暖機運転を行い、タイヤを装着し、足回りやブレーキを最終調整する。GT500マシンやホンダ アコードのようなワークスマシンともなれば、専属メカニックが何人も付き、普段レースを戦うのとほぼ同じ体制が筑波サーキットに持ち込まれていた。
ホンダは実質的にワークス体制。セルモ・スープラもGT500そのもののチームが動いていた。一方、GTOやGT-R勢はN1耐久仕様だったため、比較的ノーマル車に近い構造とはいえ、それでも新品タイヤやブレーキのチェック、サスペンション調整など、本番前には細かな準備が欠かせない。
しかも、どのマシンも現役でレースを戦っている貴重な車両なのである。絶対に接触もクラッシュも許されない。その緊張感は通常のレース以上だった。
ベストモーターリングの収録は、とにかく朝が早い。冬ならまだ真っ暗な午前5時頃にはサーキットが動き始める。メカニックはさらに早く現場へ入り、マシンを降ろしエンジンを暖め走行準備をする。我々キャスターも6時前には筑波サーキット入りするのだ。
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