クルマだけでなくドライバーたちまで豪華だった
そして、ここからがベストモーターリングらしい。通常のレースならタイヤを温める時間があり、練習走行があり、セッティングを確認する。しかしベストモーターリングではそれが一切ない。最初の走行が、そのままタイムアタックなのである。
わずか5周。この5周でマシンを理解し、タイヤを温め、ベストラップを出さなければならない。普段から乗っているマシンならまだいい。しかし初めて乗るGT500やポルシェGT2、F355チャレンジを、いきなり限界まで攻めるのは簡単ではない。
それでもベストモーターリングのキャスター陣は、それを毎回やってのけていた。改めて振り返ると本当にレベルの高いメンバーだったと思う。
しかも、この異種格闘技当日は冬だった。レーシングスリックタイヤは1周2kmの筑波サーキット5周程度では十分に温まらない。グリップしないタイヤで限界を探りながらタイムを出す。それだけでも難しい。
時速200キロ前後の世界、国内レース最高峰の共演と競演
そんな条件でトップタイムを記録したのは、やはり土屋圭市キャスター操るGT500セルモ・スープラだった。タイムは56秒53。バックストレート最高速は209.24km/h。当時のGT500はまだHパターンのマニュアルシフトで、2速から4速を巧みに使いながら走っていた。
2番手は黒澤琢弥キャスターのポルシェGT2。56秒99という僅差で迫り、最高速は211.98km/hとスープラを上回っていた。911GT2は市販レーシングカーとして非常に完成度が高く、初めて乗るマシンでも短時間で乗りこなせる懐の深さがあった。
3番手は服部キャスターのムーンクラフトJACCSアコードで57秒08。最高速は196.17km/hだった。筑波サーキットの特性を想定し、ホンダはローギヤード化した特別なギヤ比まで用意してきた。ストレートでは不利だったがコーナー区間では驚異的な速さを見せていた。
4番手は大井副編集長のR33GT-Rで58秒63。プロドライバーではないが副編集長として我々と互角以上に渡り合う速さを何度も見せていた。時には少し攻め過ぎてクルマを壊してしまうこともあったが、それだけ本気だったのだろう。
自身はプーマGTOで59秒31を記録し5番手。最高速は206.89km/hだった。実はこの日、私には密かな目標があった。それは「GT-Rに勝つこと」である。当時のプーマGTOは「打倒GT-R」を掲げて開発されていた。
絶対に負けられない戦いがソコにはあった!!
レースでは何度も表彰台へ上がったが、まだGT-Rを完全に打ち破るところまでは届いていなかった。だから、自身もGTOを走らせるテスト&サービスも、このバトルだけはGT-Rに負けたくなかったのである。
タイムアタックの結果を基に、決勝はリバースグリッドでスタートする。しかも距離はたった5周。普通のレースなら300km、500kmを戦う。しかし5周ではタイヤが温まった頃にはバトルが終わってしまう。逆に言えば、序盤から全開で攻め続ける必要があった。
スタートでは四輪駆動勢が一気に飛び出した。GTOもGT-Rもスーパー耐久ではローリングスタートが基本だったため、スタンディングスタートには慣れていなかったが、それでも四輪駆動の発進性能は大きな武器だった。
一方、GT500スープラはスタート直後こそ苦戦する。冷えたスリックタイヤでは本来のグリップを発揮できず、タイヤが温まるまで時間が必要だったからだ。
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