何か新しいことをやってくれる期待感
3世代にわたるセフィーロを振り返ってみると、やはり初代の印象が色濃く残っている方が多いのではないだろうか。商業的には、成功したとは言えなかった初代セフィーロだが、いまだに人々をときめかせるのには、いくつか理由があると考える。
・ユーザーが自分の好きなように選択できるカスタマイズ性
・「スポーティ」や「ラグジュアリー」といった公式にとらわれない新しさ
・何か新しいことをやってくれるという期待感
2代目・3代目では、世代を追うごとに快適性や広さといった機能が高まりコストパフォーマンスに優れたクルマへと成長し、ビジネス的には成功を収めるようになったが、代わりに、初代セフィーロが持っていた特殊性は失われてしまっていた。
「商品の魅力を磨いてさらに売れるようにする」のは、どんな商売にせよ当たり前にやることだ。しかしながら、ビジネス的には成功しなかった初代セフィーロが、いまだに「いいクルマだった」と語りつがれる背景には、やはり「売れるクルマ」と「ファンの心に残るクルマ」とはイコールとはならず、初代セフィーロは、ファンをわくわくさせる目新しさや個性が特別光っていた、ということなのであろう。人間は、感情を揺さぶられると、長い間記憶に残る、といわれている。
2003年にはローレルとも統合し、新世代のFF-Lプラットフォームを採用したティアナ(北米名アルティマ)へと切り替わったが、このティアナも、生産を終えることとなってしまった。惜しくもブランド名は消滅してしまったが、セフィーロは確実に、日産の一時代を支えた、名車であった。
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