毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回はトヨタ ウィンダム(1991-2006)をご紹介します。
【画像ギャラリー】「ワールドプレステージクラス」はどのように変遷したか 歴代ウィンダムをギャラリーでチェック!!!
文:伊達軍曹/写真:TOYOTA
■“パイロット御用達”!? スマッシュヒットしたトヨタのFF中型プレミアムセダン
日本仕様に「レクサス」の冠は付かなかったものの、北米レクサスのイメージを巧みに取り入れた宣伝戦略と、そもそも流麗なスタイリングにより、初代と2代目はスマッシュヒット。
しかし純北米風デザインに変更された3代目は、時代の変化も相まって失速。その結果として3代限りで消えていった、FFレイアウトの中型プレミアムセダン。それがトヨタ ウィンダムです。
1989年に3ナンバー車の税負担が軽くなる税制改革が行われると、各社は積極的に3ナンバーサイズの高級車やプレミアムスポーツを発売。
そんななかトヨタは、マークIIなどより格下の印象がぬぐえなかったFFの高級車「プロミネント」の後釜として、3ナンバーサイズのFFサルーン「ウィンダム」を1991年にリリースしました。
海外では「レクサス ES」を名乗った初代ウィンダムは、同時期に登場した9代目クラウンとほぼ同じサイズの(ただし全幅は初代ウィンダムのほうが30mm広い)4ドアピラードハードトップ。
プラットフォームはセプター(海外向けカムリ)と共通でした。
搭載エンジンは北米仕様のレクサスESと同じ新設計の3L自然吸気VV6DOHCで、最高出力と最大トルクは200ps/28.0kgm。トランスミッションは電子制御4速ATのECT-Sで、サスペンスは4輪ともストラット。
ただしトップグレードの3.0Gは、上下G感応式の電子制御サスペンション(TEMS)を標準装備していました。
こういったハードウェア以上に特徴的だったのは、初代ウィンダムの「イメージ戦略」でした。
テレビCMでは米国人実業家や大学教授、国際線の機長など、いわゆる「いかにも北米レクサスの顧客っぽい人々」を登場させ、それだけではなく「レクサスES300=日本名ウィンダム」とのナレーションも入れることで、「これは日本のおやじセダンではなく、レクサスES300の日本版なんですよ」ということを積極的に訴求。
これにより初代ウィンダムは――もちろん車そのものの素性の良さもあってですが――中の上あるいは上の下ぐらいの暮らしを志向する層に鋭く刺さりました。
そしていつしかウィンダムは――本当にそうだったのかどうかは知りませんが――「パイロット御用達車」と言われるようになり、「比較的若くてアクティブな知的エリートが選ぶ車」的なイメージが定着。そのままヒット作へと成長していきました。
1996年にフルモデルチェンジを受けて登場した2代目ウィンダムは、ほとんどキープコンセプトといえるもの。
細かな変更や安全装備の大幅な向上などはありましたが、依然として「アクティブでカッコいいエリートが乗る車」的イメージをまといながら、まずまず売れ続けました。
しかし2001年に登場した3代目は、流麗でやや背が低いセダン(ピラードハードトップ)から「ごく普通の形状のセダン」に変更。
全体のデザインも、「深夜に再放送されているアメリカのTVドラマの中で、脇役の人が乗ってそうな車」みたいなものに変更されてしまいました。
北米の志向に合わせて外寸と車内寸法が広がり、居住性がさらに向上したことで、この3代目は北米ではけっこう売れたそうですが、日本では鳴かず飛ばすに。
2005年には月販台数が2ケタまで落ち込み、翌年、ウィンダムはカムリと統合される形で生産と販売が終了となってしまいました。
コメント
コメントの使い方