満を持してデビューしたマツダ3が思わぬ苦戦
これは、いよいよ世界初の技術としてHCCI(予混合圧縮着火)を実用段階へ持ち込んだSPCCI(火花点火制御圧縮着火)のガソリンエンジンを搭載するマツダ3がモデルチェンジした年と重なる。
車名も、アクセラから世界共通のマツダ3に変更し、満を持して市場投入されたマツダ3が、思わぬ苦戦を強いられている。昨年の販売台数は、1万9215台で35位という成績である。カローラとの比較は酷だとはいえ、11万8276台で4位のカローラの6分の1以下に止まる。
ことに昨年はコロナ禍の影響もうけただろうが、魂動デザインと、SKYACTIV‐Xという世界初のエンジン技術によって、カローラの牙城を少しは崩せてもよかったのではないか。マツダファンなら、そのような思いにもさせられたかもしれない。
もちろん、販売店数がトヨタは5000店を超えるのに対し、マツダはオートザム店を含めても1000点を切るので、5分の1以下の販売店力ではあるが……。
エンジンは新開発から20年ほど使われるのだが……
かつては、一度エンジンを新開発すれば、それを20年ほど改良しながら使い続けることができた。SKYACTIVのガソリンとディーゼルエンジンが登場したのが2012年のCX‐5からであるから、以前であればその技術は2032年まで利用できたといえるだろう。
ところが、ここにきて2035年にはエンジン車販売を禁止するといった話が国内でも出てきて、東京都の小池知事は2030年には禁止と打ち出した。英国のジョンソン首相も、エンジン車禁止を2035年へ前倒ししている。
菅義偉首相が2050年に脱炭素を目指すと述べ、これに対し自動車工業会の豊田章男会長が、挑戦する一方で、雇用を含め達成は容易ではないとの見解も示している。
エンジン車禁止の方針は急に起こったことではない
政治的に急な方針転換のように見えるかもしれないが、実は、30年近く前に米国カリフォルニア州でZEV(ゼロ・エミッション・ヴィークル=EV)の市場導入の動きがはじまっている。当初は、大手自動車メーカーが主体の規制案であり、トヨタ、日産、ホンダの3社はさっそく試作車をつくり、実証実験をはじめた。
ところが当時は、鉛酸バッテリーしかなかったので、実用化は厳しいとカリフォルニア州でも判断し、実施を先延ばしした。しかし、法律がなくなったわけではない。改めて実施へ動き出した時には、規模の大小を問わず自動車メーカーへEV導入を求める規制となった。
こうした動きは、中国でも活発になり、ZEVを模擬したNEV(ニュー・エナジー・ヴィークル)規制がはじまる。あわせて、EVとはいっていないが、欧州で二酸化炭素(CO2)排出量規制が厳しくなり、結果的にEVを販売しなければ達成できない事態となってきている。
EVへ転換する未来を創造しきれていなかった
ZEV法から30年を経ている。その間に、上記のような動きがあった。そして気候変動は進行し、自然災害の甚大化が現実のものとなり、消費者自身が明日のわが身を心配する状況になった。もはや、エンジン技術を20年もたせて新車販売をする時代は終わったのである。
1987年に携帯電話がはじめて誕生し、1990年代に小型化が進み、2008年にはiPhoneがいよいよ登場する。20年で情報通信の世界は様変わりし、生活様式が大きく変化した。
その時代に、クルマだけが130年以上の時を経てエンジンで走っていること自体に疑問があり、EVへの転換という未来を創造しきれなかった経営者の責任は重い。
それでも、マツダもいよいよMX‐30にEVを加え、新たな時代への一歩を踏み出した。ホンダも昨年ようやくホンダeの発売にこぎつけた。三菱自や日産に比べれば10年の遅れではあるが、顧客と接点を持つ商品を出した意味は大きい。
これに対し、心配なのはトヨタやスバル、ダイハツである。スズキは軽自動車のマイルドハイブリッド化を完了させたあと、ハイブリッド車(HV)やEVの商品化へ動くようだが、いずれにしても、EVという商品を持たないメーカーは、足元の販売が好調であっても、明日のこともわからなくなりつつある。それほど消費者の価値観は日々変化している。
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