■快適にドライブできるスーパースポーツ
初代NSXのラージ・プロジェクト・リーダー(LPL)を務めたのは上原繁さんだった。クルマ好きの首脳陣によって企画されたこのスポーツカープロジェクトは、精鋭のエンジニアを集めて開発することになったのである。
こだわりのひとつは、ボディ設計である。軽量化を徹底するために、世界で初めてオールアルミ製モノコックボディに挑戦した。アルミ材は軽量だが、剛性値は鋼板の3分の1だ。だからアルミの種類を厳選し、新しい工法を用いて組み上げた。モノコックの骨格からボディ外板までアルミ材としたことで、鉄よも155kgも軽く、車重は1350kgに収まった。
人間優先のパッケージングも、それまでのスポーツカーにはなかったものだ。
キャビンは視界が開け、長身の人でも最適なドライビングポジションを取ることができる。
また、四季を通して快適なエアコンを装備し、パワーシートやパワーウインドーなども標準で付く。今では常識となった電動パワーステアリングもいち早く採用している。リアに設けられたトランクにはゴルフバッグが2個も入るなど、実用性能も一級だ。我慢せずに、快適にロングドライブを楽しめるスーパースポーツがNSXなのである。
■走行性能や快適性だけでなく安全性能も時代を先取り
ドライバーの後ろに搭載するパワーユニットは3Lクラス最強のパフォーマンスを誇る90度V型6気筒DOHC・VTECだった。F1と同じターボも検討したが、切れ味鋭い自然吸気のDOHC・VTECにこだわって採用した。過給機に頼らず自主規制値いっぱいの280psの最高出力を絞り出し、最大トルクも30.0kgmを達成している。その気になれば8000回転オーバーまで軽やかに回った。トランスミッションは5速MTのほか、電子制御4速ATを設定している。
サスペンションは前後ともインホイール型ダブルウィッシュボーンで、これもアルミ製の凝ったものだった。ブレーキは2ポット式のベンチレーテッドディスクだが、ABSに加え、時代に先駆けてトラクションコントロールも標準装備する。また、SRSエアバッグシステムをステアリングに内蔵した。快適装備だけでなく、安全装備に関してもNSXは時代を先取りしていたのである。
■日本絶頂期を駆け抜けたNSXの歴史
NSXは年号が昭和から平成に変わった1989年2月のシカゴショーでベールを脱いだ。
参考出品車は「NS-X」を名乗っていたが、翌90年9月に正式発売されたときは「NSX」に変えられている。
栃木の専用工場で生産されるのは、1日25台が精いっぱいだった。5速MT車の販売価格は800万円、4速AT車は860万円のプライスタグを付けている。ちなみにメインマーケットの北米では新生アキュラチャネルのイメージリーダーとしてアキュラNSXを名乗った。
シカゴショーで存在を知っていたし、バブルの絶頂期だったから、発売されると富裕層が争うように注文している。
高価なスポーツカーだが、少量生産だったし、生産性も悪いから瞬く間にバックオーダーを抱えてしまった。納車まで1年待ちになったから、待ちきれずに逆輸入した左ハンドルのアキュラNSXに手を出した人も少なくない。また、新古車も出回ったが、これは新車以上の価格を付け、話題をまいている。が、バブルが弾けたこともあり、発売から2年ほどで納車争いは収まった。
1992年11月、レーシングテクノロジーを結集し、ドライビングプレジャーを徹底的に追求したNSX「タイプR」を限定発売の形で販売している。
標準仕様と比べ、車重は120kgも軽い。1995年春のマイナーチェンジではドライブ・バイ・ワイヤやシーケンシャル4速ATを導入し、ルーフ部分を脱着できるようにしたタイプTも送り出した。この時期は氷河期で、スポーツカーファンも大きく減少したので、限定車のタイプR以外は販売も落ち着いている。
さらに1997年2月にタイプSを追加した。パワーユニットは3.2LのC32B型V型6気筒DOHC・VTECだ。5速MTはクロスした6速MTへと進化している。
そして2001年に化粧直しを行い、ヘッドライトを固定式に変更した。これに続き02年5月には第2世代のNSXタイプRを投入する。
生産を終えたのは2005年だ。デビューから15年以上も日本を代表するスーパースポーツの王者に君臨し、世界のスポーツカーのその後に多大な影響を与えたNSXは、中古車になっても熱狂的なファンに愛され続けている。
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