今となってはやや信じがたい話だが、かつて国産車にも採算を度外視して開発されたとしか思えないようなクルマがあった。本気でフェラーリを超える性能を目指して開発され、伝説の名ドライバー、アイルトン・セナが開発に携わった。
その名も初代NSX。
現在は2代目となる現行型NSXが販売されているものの、独特なテイストと美しいデザインは今も多くのファンを魅了しており、中古車価格は高騰を続けている(極上品は3000万円を超える)。
そんな初代NSXは、どのような経緯で生まれたのか。また、登場した瞬間から「名車だ」と言われていたのだろうか。当時を知る自動車ジャーナリストに、その状況を伺った。
文/片岡英明 写真/HONDA
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■フェラーリやポルシェと戦えるスポーツカーを
絶頂期を迎えていた1980年代の日本自動車界。そこにありそうでなかったジャンルのクルマが、高性能でルックスも流麗なミッドシップのスポーツカーであった。いわゆる「スーパーカー」と呼んでも差し支えないような、夢のあるクルマだ。
1984年6月にトヨタがMR2を発表。日本初の量産ミッドシップカーだが、これはエンジンが1.6Lの直列4気筒DOHCだった。これでは名門のフェラーリやポルシェと同じ土俵には上がれない。
このMR2が発売された頃、ホンダもミッドシップカーの基礎研究を行なっている。当初はミドルクラスの2L前後の4気筒エンジンを積むスポーツカーを考えていた。だが、次第に構想はエスカレートし、熱を帯びてくる(この「次第にエスカレートしていった」という開発工程を説明するのは難しいのだが、当時のホンダの開発部隊を取材すると、まさにそうとしか言いようのない雰囲気だった)。
ホンダはエンジンサプライヤーとしてF1に参戦していた。
その当時、本田技術研究所の社長だった川本信彦さんは、第1次ホンダF1のプロジェクトに関わるなど、無類のモータースポーツ好きである。この川本さんの強力なバックアップもあり、フェラーリ328やポルシェ911とガチで勝負できるスーパースポーツの開発がスタートするのである。
ホンダの最新テクノロジーを積極的に活用し、それまでにない新世代のスーパースポーツを生み出そうと意欲を燃やした。
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