お宝トミカ3/短命に終わった「マスコミトミカ」
1973年に独立したシリーズとして登場した「マスコミトミカ」は、当時の人気テレビ番組のキャラクターをトミカにあしらったもので、全12種が発売された。
前述の「帰ってきたウルトラマン」と「緊急指令10-4-10-10」は実際の劇中車として存在したものの、ほかの車両は通常品のトミカにキャラクターのシールを貼り付けただけの内容だった。番組の人気は移り変わりが激しく、1973年のカタログに掲載されたのみで姿を消した。
お宝トミカ4/黒箱時代の「特注トミカ」
「特注トミカ」とは、企業やミニカー専門店などが通常品にはない仕様のトミカをメーカーに発注して独自のルートで販売する製品のこと。限定生産となるためコレクターにとってはたまらないアイテムであり、これまで製造されてきた特注トミカの多くがプレミア価格で取引されている。
写真のトミカは、新宿の小田急百貨店で開催された「新宿小田急第2回トミカ工場記念」として発売されたスカイライン2000GTレーシング。トミカには独自のカラーリングが施され、通常品の箱には「小田急第2回トミカ工場記念」というシールが貼付されている。
お宝トミカ5/全国各地の「路線バストミカ」
トミカには、都営バス、はとバスなどの全国的な知名度を誇るバスに加えて、全国各地のバスもつくられている。現在はバス事業者の注文による「特注トミカ」がメインだが、以前は当時のトミーの地方営業所が地元の路線バスを独自に製品化していた。
写真はトミーの横浜営業所が販売した神奈川中央交通のトミカ。神奈中バスの路線バスはオレンジの帯が正解だが、なぜか貸切色のブルー帯のシールを付属した仕様もあった。
お宝トミカ6/金型が消滅した「ホンダ シティ」
実車が大ヒットした初代ホンダシティは、トミカでは1982年9月に発売。10種類のバリエーションが製作された。ところが、同月にシティターボが鮮烈デビュー。それに伴い、当時のトミーでは金型を改修することでシティターボをリリース。わずか半年後の1983年3月に発売した。
しかし、元のホンダシティはわずか6ヶ月ほどで絶版。シティターボも発売から1年3ヶ月ほどでシティターボIIに金型を再度改修したため、短命に終わった。
お宝トミカ7/個性的なラインアップが魅力的だった「トミカ外国車シリーズ」
1976年に登場した「トミカ外国車シリーズ」は、その名の通り、日本車のみのトミカとは別のシリーズとして、外国車を製品化したもの。パッケージはトミカの「黒箱」とは対照的な青地のデザインが特徴で、「青箱」と呼ばれるようになった。
当時はスーパーカーブームの全盛期で、多くのスーパーカーを製品化。写真のランボルギーニチータのような試作車やクラシックカーも製作された。スーパーカーブームの終焉とともにシリーズも縮小され、最終的には国産車と統合。現在の「赤箱」に組み入れられた。
お宝トミカ8/通常品にはないオリジナル品もつくられる「トミカイベントモデル」
トミカのなかには、通常品としては一度も発売されていない車種が存在する。それらは「ギフトセット」や「トミカ博」の会場などで販売される「トミカイベントモデル」としてリリースされるため、常に情報のアンテナを張っておく必要がある。
写真の70スープラもそのひとつで、車種選定からして、もはや大人向け以外の何物でもない。スタイリングの再現度も高く、他のトミカとは一線を画す存在だ。
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