■「乗ればいいクルマ」だけど コンチェルトが一代限りとなった背景
正調英国風で、好きな人はけっこう好きなタイプのセダンだったと思われるホンダ コンチェルトが思いのほか振るわず、わずか約4年で生産終了となった理由。
それは「この車が向かいたかった方向と、時代の風向きがぜんぜん合っていなかった」ということに尽きるでしょう。
先ほども引用した当時のプレスリリース(1988年6月15日付け)には、こう書かれています。
「このコンチェルトは、新しい価値観、つまり良質なものにさりげなくこだわる生き方を志向する人々に向け、“基礎からしっかり”にこだわるクルマづくりの考え方(=(※)Foundation)のもとに、より多くの人々が気軽に使える1.6Lクラスで、プラスワンのゆとりをもつ高質な新しいセダンを、ヨーロッパ車的な味わいを盛り込み開発。」
……微妙に悪文なためちょっと意味が取りにくいのですが、書き換えるとすると、こんな感じになるでしょう。
「『良質なものにさりげなくこだわりたい』という価値観を持つ人のため“基礎”を重視し、手頃な1.6Lクラスではあるが広くて上質であるという、日常づかいされるヨーロッパ車に近い車として開発しました」
だいたいこんなところでしょうか。
その思想は立派だと思いますし、筆者も個人的には、そういった「地味だけど、乗るとすっごくいい車」みたいなタイプが大好物です。
しかしコンチェルトが発売された1988年は、そういった「一見地味だけど、わかる人にはわかるプロダクト」に追い風が吹いている時代ではありませんでした。「むしろ逆風が吹いていた」と言ったほうがいいかもしれません。
1988年といえば、1985年のプラザ合意を経て、世の中は日経平均株価が3万8957円の史上最高値を付ける1989年12月29日の“ピーク”に向かって「未曾有の好景気」を予感していました。
東京ドームが開業し、リゾートマンションがバカ売れして、六本木の高級ディスコ「トゥーリア」で照明が落下し、そして「シーマ現象」が巻き起こった――というのが1988年です。
そんなムードのなかでも、「自分は渋い英国調の小型セダンで『さりげなくこだわりたい』のだ」と思っていた人はもちろんいたでしょう。
しかしそういった人は、あの時代にあっては少数派でした。
多くの人は「もっとわかりやすく高級なモノ」を欲し、そしてそれが「自分でも手に入れられる!」と信じていたのです。
そういった場のなかに「どーも! さりげなく上質な小型セダンこと、ホンダのコンチェルトで~す!」とばかりに登場しても……残念ながら、振り向く人の数は少なかったのです。
■ホンダ コンチェルト主要諸元
・全長×全幅×全高:4415mm×1690mm×1395mm
・ホイールベース:2550mm
・車重:1050kg
・エンジン:直列4気筒SOHC、1590cc
・最高出力:120ps/6300rpm
・最大トルク:14.5kgm/5500rpm
・燃費:12.0km/L(10モード)
・価格:157万1000円(1989年式 JX-I FF 4速AT)
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