■それとは別に根深い問題…彷徨う「ホンダらしさ」
だが、フィットの販売実績が伸びないのは、こうした販売現場での攻防だけではなく、もっと根深いところにあるように思える。
フィットという1モデルにおける、デザイン、動力性能、燃費、そして価格がライバルと比べてどうかという視点だけではなく、ホンダとしてのクルマづくりの在り方、またホンダという企業の有り様にも深く関係しているのではないだろうか。
具体的には、「ホンダらしさ」に対して、現在のモデルラインアップにおいては、本田技研工業(本社)と本田技術研究所それぞれの中で、「明確な方向性」が確立されていない印象がある。これが、自動車関連メディアがここ数年間に渡り言い続けている、「ホンダに元気がない」という表現に結び付く。
1970年代の排気ガス規制の中で登場したCVCC、スポーティな走りを身上とするVTEC、
『シティ』や『オデッセイ』など独創的なデザイン、さらに走る研究室とも言われてきたF1など、「ホンダらしさ」の記号性は、ユーザーにとってわかりやすいものだった。
だが、1990年代以降はアメリカ市場重視のモデル戦略となり、2000年代に入ると中国市場や経済新興国BRICs市場での生産と販売拡大の重要性が高まり、そのためグローバルで年間販売台数600万台構想を描くも、開発体制のさまざまな部分で”ほつれ”が生じてしまった。
こうした状況に陥ってしまったホンダに対する、外科手術を施したのが前社長の八郷隆弘氏だった。その上で、ホンダ改革の一丁目一番地は、「本社と研究所の融合」であることは、ホンダ関係者であれば誰でもがわかることだ。
ホンダは本社が商品企画やマーケティングなどを行い、具体的な研究開発は本社とは別会社である研究所が行うという、世界的に見ても珍しい組織体系を持つ。創業者・本田宗一郎氏が構築した「ホンダらしさ」の象徴である。
だが、時代は大きく変わり、ホンダ自身も大きく変わる必要が出てきた。そこで、まずは研究所の中で、先行開発と量産開発に対する組織改編を行い、次に研究所全体の組織を変え、そして本社との量産部門を事実上統合するというステップを踏んできた。
こうしたホンダ史上、最大級の組織再編の中で、筆者はさまざまな機会に本社や研究所の人たちと情報交換する機会があったが、皆一様に「ホンダらしさとは何か?」を改めて自問自答しているような雰囲気があった。
そんな中で、フィットのフルモデルチェンジの作業が進んでいった。
■「レーシングスピリッツ」と今の「ホンダらしさ」の間にあるギャップ
満を持して登場した、4代目フィットのコンセプトは「心地よさ」だ。心地良い視界、座り心地、乗り心地、使い心地の、4つの心地よさを強調した。
発売と同時に青山本社で開催された「ここちよさ展」も取材したが、研究所の感性価値企画室が業務で使用している評価方法を体験した。こうした、ふんわりとしたイメージの感性と、レーシングスピリッツに代表されるホンダとしての感性には、やはりギャップがある。
ホンダとして「ホンダらしさのあるべき姿」を深堀りした結果、「心地よさ」へとたどり着いたのだが、見方をかえると、ユーザーに対するインパクトが少し弱いともいえる。
一方、ヤリスはWRC(世界ラリー選手権)での挑戦を受けて、『GRヤリス』をヤリス全体のプロモーションに活用するアグレッシブさを強調したことで、レーシングスピッツというホンダのお株を奪ったようなイメージがある。
とはいっても、フィットは、ふんわり、やんわり、ゆったりしたイメージの商品性を変えるわけにはいかず、あくまでもマイペースで、これからのモデルライフを過ごすことになるのではないだろうか?
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