スズキは4月末で軽四輪車の国内累計販売台数2500万台を達成したことを発表した。そのなかでも最多販売台数を記録しているのがアルト。524万台で今もその記録を伸ばし続けている。
スズキ史上最高のヒット作であるアルト。これほどまで売れた理由はなんだったのか? その歴史を振り返る。
文/片岡英明 写真/SUZUKI、ベストカー編集部
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■スズキの危機を乗り越えるために誕生したアルト
鈴木自動車工業を名乗っていたスズキが自動車を発売したのは1955年10月だった。最初の作品は進歩的な前輪駆動を採用したスズライトだ。
そして2020年4月、軽自動車の国内販売が累計2500万台を達成している。そのなかで5分の1以上を占める524万台を記録しているのが軽ボンネットバンから軽乗用車へと成長し、成功を収めた「アルト」だ。
1970年に過去最高の125万台の販売台数を記録した軽自動車は、これをピークに販売は減少した。オイルショックにも見舞われたから、1975年には58万台まで落ち込んでいる。
この危機を乗り切るために、関連団体は軽自動車の大改革に乗り出した。排ガス対策と安全対策も急務だったから、1976年にボディサイズを拡大することを決定する。全長を200㎜延ばし、全幅を100㎜広げるのだ。エンジン排気量の上限も550ccまで引き上げた。
各社は新規格軽自動車への対応に追われたが、特に深刻だったのはスズキだ。販売の大半を軽自動車が占めていたからである。この時に新規格軽自動車の開発の陣頭指揮をまかされたのが、当時は取締役で後に代表取締役社長、そして会長になる鈴木修氏だった。
屋台骨のフロンテを一新するが、その時に開発コストを下げるために商用車も同時開発することにしたのである。物品税がかからず保険料も安い4ナンバーの軽商用車なら価格を引き下げられるし、排ガス対策もしやすい。
■全国統一価格47万円の衝撃
1979年5月、スズキは3ドアハッチバックのアルトと5ドアのフロンテを発売した。ボンネットバンのアルトは1グレードだけと割り切っている。
ライバルメーカーに衝撃を与えたのは販売価格だ。軽自動車の廉価グレードが60万円台だった時代に、なんと全国統一価格47万円で売り出したのである。乗用車の卸値価格には高税率の物品税が課せられるが、公共性が高い商用車は非課税だった。
4人乗りのアルトはフロンテをベースにしている。だから乗用車に限りなく近いが、トラックやワンボックスと同じように後席は簡易的な折りたたみ式シートとした。
実質2人乗りの軽商用車として認められ、物品税を免除されたのだ。法の盲点をつく巧みな戦略によりアルトは常識破りの低価格を実現できたのである。当然、利益は少ないので薄利多売になった。
だが、中古車に目を向けている人やパートで仕事をしている女性など、新たなユーザー層を獲得することに成功し、セカンドカー需要も引き出している。
アルトはインパネを一体成形とし、ドアの内張りもビニールの板張りにするなど、コストを徹底して引き下げたが、基本性能が高かったので満足度が高かった。47万円の低価格以上の魅力があったので、多くの人は飛びつき、大ヒットしている。
全国統一価格を打ち出したことも、輸送費が上乗せされていた地方のユーザーを増やす一因となった。
売れに売れたから、スズキはバリエーションの拡大を図っている。そのひとつが2速ATの設定で、MT車を苦手とする女性ユーザーを増やすことに大きく貢献した。
また、1981年には2サイクルエンジンに加え、快適な4サイクル3気筒エンジンを投入し、ファン層を広げている。モデル末期にはパートタイム4WDを追加し、雪国の人たちの期待に応えた。
アルトは軽自動車のベストセラーカーに君臨したが、その後もスズキの首脳陣と開発陣は手綱を緩めず新規ユーザーの獲得に情熱を傾けている。だから最後まで安定して売れ続け、軽自動車ナンバー1メーカーの座を確実なものにしたのだ。
コメント
コメントの使い方アルトの凄さは世界レベル。安かろう悪かろうではなく、真に良品兼価を目指しているからこそ、スズキにしかできないこと。静岡県民として自慢です。