「芸術品の軽自動車を守り抜いてほしい」勇退した鈴木修氏の功績とは

■こんなクルマがあると(アルト)便利なんです

1979年に登場した初代アルト。ウインドウウォッシャーも電動ポンプを使用せず、360cc時代に見られた手動のポンプで噴出するタイプにし、左側ドアの鍵穴まで省略するなど徹底したコスト削減と、モノグレード、商用車登録(ボンネットバン)によって47万円を実現した
1979年に登場した初代アルト。ウインドウウォッシャーも電動ポンプを使用せず、360cc時代に見られた手動のポンプで噴出するタイプにし、左側ドアの鍵穴まで省略するなど徹底したコスト削減と、モノグレード、商用車登録(ボンネットバン)によって47万円を実現した

 この時に鈴木修氏が企画したのが、製造コストは35万円/販売価格は45万円という新しい軽自動車であった。その成果として1979年に47万円の低価格で発売されたのが初代アルトだ。コスト低減を徹底させ、ラジオ、シガライター、左側の鍵穴まで省いた。

 特に画期的だったのは、初代アルトを4ナンバー規格の軽商用車として開発したことだ。背景には物品税率があった。1989年に消費税が導入される前は、車両の卸売価格には物品税が課せられ、小売価格に含まれていた。

 物品税率は小型乗用車が18.5%、軽乗用車は15.5%だが、軽商用車は公共性が高いために非課税であった(後に5.5%の課税対象に入る)。アルトはこの制度を利用して、物品税が価格に上乗せされない軽商用車にすることで、47万円の低価格を実現させた。

 商用車の規格では、後席の面積よりも荷室を広く確保せねばならない。そのためにアルトを4ナンバー車で造ると、後席が狭くなって居住性は実質的にクーペとなったが、低価格を優先させた。

 後席の広い乗用車としては、アルトと同じボディを使うフロンテが用意され、価格は最も安いスタンダードが56万8000円であった。アルトは軽商用車の規格を使ってコスト低減を図り、価格を9万8000円(比率に換算すれば17%)安く抑えた。

 「この手があったか!」とばかり、ほかのメーカーも追従して、1980年代の軽自動車はボンネットバンの新車ラッシュになった。ダイハツミラ(1980年)、三菱ミニカエコノ(1981年)、スバルレックスコンビ(1981年)などが登場している。

 そのためにボンネットバンの販売台数は、1978年は4万6424台であったが、初代アルトが発売された1979年には10万2514台に急増した。1980年には他メーカーの参入で21万1960台、1981年は35万383台、1982年は44万2130台と増えた。

 これに伴って軽自動車市場は全体的に盛り上がり、1990年には180万2576台に達した。底辺だった1975年に比べると3倍以上の売れ行きだ。アルトはスズキだけでなく、軽自動車市場全体を活性化させて、業界を窮地から救った。

 ちなみにアルトはイタリア語で「優れた」という意味で、女性の声や楽器の音の高さにも使われるが、鈴木修氏は「あると」便利なクルマなんです、と笑顔で語っていた。

■軽自動車のワゴンであーる(ワゴンR)

ミニバンのコンセプトを軽自動車に収め大ヒットしたワゴンR。ドアは当初右側1枚、左側2枚の変速3ドアにテールゲートを備えていた
ミニバンのコンセプトを軽自動車に収め大ヒットしたワゴンR。ドアは当初右側1枚、左側2枚の変速3ドアにテールゲートを備えていた

 ボンネットバンで息を吹き返した軽自動車業界だが、売れ行きは再び伸び悩み傾向を見せ始める。そこで企画されたのがワゴンRであった。

 前述の通り1989年に消費税が導入されると物品税は廃止され、軽商用車の規格にこだわる必要はなくなった。背の高いミニバンスタイルを採用すれば、軽自動車でも広くて快適な後席と使いやすい荷室を実現できる。そこで1993年に初代ワゴンが誕生した。

 名付け親は鈴木修氏で「軽自動車のワゴンであーる」という意味。冗談のような話だが、本人から数回にわたって聞いたエピソードだ。そしてワゴンRの名称は、機能がシンプルで好感の持てる車両の性格にピッタリだった。

 ただし、従来のスズキ車とは大幅に異なる商品なので、開発段階では心配も伴った。

 そこでステアリングやATレバーはセルボやアルト、リアゲートはエブリイという具合に、ワゴンRの70%以上の部品をほかの車種と共通化してコストを抑えている。1993年の発売時点における1ヵ月の目標台数は、5000台(当初の社内的な計画では3000台)とされていた。

 それが1994年には1ヵ月平均で1万2000台、1995年には1万7000台、1996年には2万台を超えて軽自動車の販売1位になった。今のホンダN-BOXに匹敵する売れ方だ。

 通常のクルマの販売推移は、発売から時間を経過するに従って台数を下げるが、ワゴンRは逆に増えた。着実に市場に浸透して、息の長い人気車になった。N-BOXも同様の経過を辿っている。

次ページは : ■現場の声を聞き開発部に進言してハスラーが生まれた

新車不足で人気沸騰! 欲しい車を中古車でさがす ≫

最新号

S-FR開発プロジェクトが再始動! 土屋圭市さんがトヨタのネオクラを乗りつくす! GWのお得情報満載【ベストカー5月26日号】

S-FR開発プロジェクトが再始動! 土屋圭市さんがトヨタのネオクラを乗りつくす! GWのお得情報満載【ベストカー5月26日号】

不死鳥のごとく蘇る! トヨタS-FR開発計画は再開していた! ドリキンこそレジェンドの土屋圭市さんがトヨタのネオクラシックを一気試乗! GWをより楽しく過ごす情報も満載なベストカー5月26日号、堂々発売中!