「芸術品の軽自動車を守り抜いてほしい」勇退した鈴木修氏の功績とは

■現場の声を聞き開発部に進言してハスラーが生まれた

近年稀にみる大ヒット作となった初代ハスラー
近年稀にみる大ヒット作となった初代ハスラー

 この後にはアルトの時と同様、ダイハツムーヴ、ホンダライフ、スバルプレオなど背の高い軽自動車が次々と発売される。1993年に158万932台(1990年の88%)に下がっていた軽自動車の売れ行きは、再び盛り返して2006年には200万台を突破した。スズキは鈴木修氏の指揮により、再び軽自動車を救った。

 鈴木修氏が代表取締役社長に就任した1978年には、スズキの売上高は3232億円だったが、この後の約30年間で3兆円企業に成長した。2021年度はコロナ禍の影響により、前年度に比べて8.9%減少したが、売上高は3兆1782億円となっている。

 そして、2013年12月に発表された初代ハスラーも鈴木修会長の鶴の一声で発売されたのは有名な話だ。鈴木修会長が出張中、ある人から「どうしてKeiをなくしたのかと聞かれたぞ。一度検討したらどうか」と開発部に進言。

 Keiは、アルトをベースにした軽クロスオーバーSUVで、実際売れたわけではなく、2009年には生産を終えていたが、たしかに車高が高く実用的なクロスオーバーSUVの軽は市場には存在していなかった。

 こうしてハスラーの開発が始まったわけだが、発売と当時に大ヒットし、しばらく納車半年以上という状態が続いた。

 ハスラーの発表会の席上で鈴木修会長は「庶民のみなさまというか、みんなで遊び心をもって楽しめるクルマを目指した」と述べている。まさに現場主義と、売れるクルマを嗅ぎつける野生の勘=勘ピュータとでもいうのだろうか、ハスラーの商品力とその売れゆきに驚かされた。

■鈴木修氏勇退後のスズキはどうなるのか?

 以上のように鈴木修氏の足跡を振り返ると、車両の開発と販売、海外進出や他社との業務提携、さらにオイルショックや排出ガス規制などの受難が生じた時の対応まで、すべてに精通して的確な指揮をしてきたことがわかる。

 スズキだけでなく、日本の自動車業界のリーダーであり、求心力であり、厳しさと優しさを兼ね備える父親のような人物だ。

 今後、鈴木修会長が退任されると、代表取締役社長の鈴木俊宏氏が全面的にスズキの指揮をとる。電動化を筆頭に環境への対応が急務で、自動運転に向けた技術開発も行わねばならない。

 通信機能も含め、他社との協調は不可欠だ。その一方で競争に打ち勝つ必要がある。今まで経験しなかった事柄への対応を、迅速に行わねばならない。

 そこで重要な意味を持つのが、冒頭で述べた鈴木修会長の「軽自動車の芸術品は、守り通して欲しいですね」という言葉だ。運転のしやすい小さなボディに、さまざまな技術やアイデアを凝縮して、割安な価格で提供する。

 この考え方は、軽自動車はもちろん、さまざまなクルマに当てはまるだろう。最先端の技術を備えながら、扱いやすく求めやすいクルマは、日本、海外を問わず好調に売られて多くのユーザーを幸せにするからだ。

 鈴木修氏は、多種多様の困難に直面してそれを乗り越えながら、芸術品を守り通してきた。「鈴木修さんならどうしたか」と時々考えながら、これからも優れた商品を生み出していただきたい。スズキのさらなる発展に、期待しております。

【画像ギャラリー】「軽自動車は芸術品」カリスマ経営者にして多くの芸術品を生み出したアーティスト 鈴木修会長の足跡を辿る

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