■セドグロにとって1980年代は輝かしい時代だった
型式が「230」だったことから、ファンから「ニーサンマル」と呼ばれた3代目セドリックと4代目グロリアは、クラウンと同じ4ドアセダンと2ドアハードトップ(HT)に加え、日本初の4ドアHTを送り出している。
オーナーカーの主役をセダンから4ドアHTに移させたのが、このセド/グロ連合軍だ。伸びやかなフォルムに滑らかなパワーフィールの230型はクラウンを超えるヒット作となり、若いファンや女性層の獲得にも成功した。
クラウンと違う方向に舵を切ったセドリックとグロリアは、日産ファンと旧プリンス系のファンを上手に吸収している。とくに旧プリンス系のファンのグロリア愛は半端ではない。一途な愛を見せ、エンブレムひとつにも強いこだわりを見せた。
両車は1979年6月にモデルチェンジし、430型になっている。前輪にベンチレーテッドディスクブレーキを採用し、リアサスペンションは5リンク/コイルに進化させた。
また、12月には日本初のターボ装着車を投入し、高性能なプレミアムカーの流れを生み出している。上質な直列6気筒ディーゼルも設定するなど、クラウンにはない魅力と走りのよさを強くアピールしたのだ。
1980年代のセドリックとグロリアは、クラウンよりも強い存在感を放ち、これまでプレミアムカーに目を向けなかった層の人たちも引きつけている。
Y30型セドリック/グロリアは日本初のV型6気筒SOHCエンジンを搭載し、画期的なジェットターボも投入した。また、フロントサスペンションも新設計のストラット/コイルだ。カラオケ機能付きオーディオも用意している。
1987年6月に登場したY31型では4輪独立懸架のサスペンションに4輪ディスクブレーキ、新開発のV型6気筒DOHC4バルブターボ、ラック&ピニオン式ステアリングギアの「グランツーリスモ」を設定。
スポーティクーペ顔負けの痛快な走りを実現した。また、ひとクラス上の上質感と気持ちいい走りを目指したシーマを送り出し、トヨタの首脳陣とセールス氏を歯ぎしりさせている。
■車名の消滅はあの有名な「コストカッター」の影響なのか!?
Y32型セドリック/グロリアからは4ドアHTだけが定期的に進化を続けるようになった。グランツーリスモは丸形4灯式やマルチリンク式リアサスペンションに加え、4輪操舵のスーパーHICASも装備し、異次元のスポーティな走りを可能にした。
バブルの後押しもあって強い存在感を示したが、時代はセダンではなく高級ミニバンやプレミアムSUVを好むようになっていたのである。
販売は落ち込んでいたが、1999年に最後の作品となるY34型セドリック/グロリアを送り出した。新設計プラットフォームを採用し、直噴のV型6気筒DOHCエンジン、世界初のトロイダル無段変速機(エクストロイドCVT)の採用など、日産を代表するにふさわしい意欲作だ。
だが、経営不振を理由に、日産はルノー傘下に組み込まれ、カルロス・ゴーンCEOが指揮をとるようになる。
日産の屋台骨が揺らいだこともあり、セドリックとグロリアの販売は低迷した。ジリ貧に陥った結果、両車は統合され、後継のフーガが登場する。これを受け、2004年、セドリックは44年、グロリアは45年の歴史に幕を下ろし、惜しまれつつ去っていった。
日産とプリンスのプライドを背負って積極的に新しいメカニズムを採用し、クラウンとは違う高級車像を追い求めたのが、歴代のセドリックとグロリアだ。伝統の2車を消滅させ、販売店を統合したことにより、日産ファンの離脱が一気に進んだのである。
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