ミニバン王者・オデッセイに生じた「迷い」
ところが、オデッセイのその後は、迷いが生じたようだった。2代目は初代を継承したが、3代目で車高を下げ、ステーションワゴンとミニバンの中間的な存在にした。
1993年に、ホンダは北海道の鷹栖に、ドイツのニュルブルクリンクを模したコースを持つプル―ビンググラウンド(テストコース)を開設した。そこからホンダ車の操縦安定性は格段の進歩を遂げるのだが、そこを重視し過ぎた開発がオデッセイに及んだのではないかと思う。そして、ミニバンとは何かという価値を見失いかけた。
3代目のオデッセイの販売は、数字的には好調だったが、一方で、ミニバン本来の機能性を求めた消費者からは見放されたのではないか。そもそも、初代オデッセイから操縦安定性は他社のミニバンと比べても高かった。それをもっと速くという思いに駆られて車高を下げたのが3代目だろう。ところが、4代目では売れ行きが落ち、現行の5代目で再び車高を高く戻した。
またホンダは、トヨタ プリウスに次いでインサイトというハイブリッド車(HV)を手掛けたが、HVの拡充は歩みが遅かった。オデッセイにHVが加わるのは、現行車となって以降の2016年、わずか5年前のことである。
最新のヴェゼルの販売動向が、HV:93%というように、消費者のHV志向に対し、人気ミニバンの名をほしいままにしたオデッセイの対応は、いかにも遅い。
車高を下げた3代目オデッセイやHV導入の遅れは、経営陣の失策ともいえるだろう。新車開発は3~4年の期間を要するが、3代目の誕生した2003年から、HVの導入が遅れた2015年まで、ホンダを牽引したのは福井威夫社長~伊東孝紳社長の12年間である。オデッセイ凋落の遠因が、経営者の視野や判断の見誤りであった可能性もあるのではないか。
ホンダらしさで名車オデッセイの「失策」挽回に期待
2021年1月、拙稿でオデッセイに触れ、その将来への期待を私は述べた。SUV人気の今日とはいえ、高齢者には乗降しにくい車種でもある。
その点、乗降性に優れ、スライドドアを持ち、同時に天井高さも確保されるミニバンは、電気自動車(EV)化も視野に入れながら、再び商品価値を高められる可能性があると期待した。だが、その前にオデッセイは消えゆくのである。
時代を読みそこなった過去の経営責任は大きい。そして、次なるホンダの一手も失うことになるだろう。
しかしホンダは、一度の失敗を許し、そこからの挽回に力を注ぎ、短期間に盛り返せる潜在能力がある。それは、1960年代からF1などによって鍛えられた精神構造がもたらす。レースは、一日として対応策を待ってくれないからだ。一歩遅れを取れば、負け続ける運命にある。その素早い挽回は、初代オデッセイ誕生の際にも活かされたはずだ。
2040年にEVメーカーになると三部敏宏社長が宣言したホンダが、次世代オデッセイなる価値を近年のうちに発表してくれることを切に願う。
コメント
コメントの使い方