ライバルの背中が遠ざかる……1994年のWRC最終戦でのカルロス・サインツの悲運

■走り去るセリカ、遠ざかる王座……悲痛な表情で頭を抱えるサインツ

目前を走り去るオリオールを呆然と見送り、降車して頭を抱えるサインツ。悲痛な表情は気の毒で見ていられない。わずかな希望にかけて奮闘したからこそ、夢やぶれた時の絶望感は計り知れない
目前を走り去るオリオールを呆然と見送り、降車して頭を抱えるサインツ。悲痛な表情は気の毒で見ていられない。わずかな希望にかけて奮闘したからこそ、夢やぶれた時の絶望感は計り知れない

 現場は着くと沢山のギャラリーがサインツの車に群がっていて、それこそ押したり引いたりを試みている。熱くなったターボエンジンから吐き出される排気ガスは、時に赤い炎がマフラーから出るほど熱せられているので、車の後ろでプッシュしているギャラリーは慌てて逃げ出す。

 また2分ごとにスタートする後続のラリーカーが、この現場の横を全速力で走り抜けていった。現場は大混乱だった。

 急いで何枚もシャッターを切るが、この当時はフィルムカメラのため36カットしか撮れない。フィルム交換ももどかしい。そしてサインツの横をオリオールが走り抜けていく。

 万事休す! これでオリオールのチャンピオンが決定する。

 サインツは車の中で茫然とする、そして車をおりると頭を抱え込んでしまう。

 ラリー取材はレース等と違い1日で撮影できるのは、せいぜい2~3か所前後。この時のRACラリーのSSは4日間で29か所。1日にSSがほぼ7か所くらいだ。

 そして1つのSSでコーナーは数10から数100か所あるだろう。撮影できるのは、そのうちの1コーナーだけ、もしくは見通しがよくても、その2~3コーナーくらいしかない。

 今回はコースオフした現場から数百mほどだったので、急いで駆け付けていろいろなシーンを撮影できたが、コースオフした場所を撮影できるのはまれだ。

 ラリーで決定的なシーンを撮影するのは、相当歩留まりが悪い行為といえるだろう。

●解説●

 1994年のRACラリーにはトヨタとスバル、そしてフォードがワークスで参戦。トヨタはセリカGT-Four、スバルはインプレッサWRX、フォードはエスコートRSコスワースで参戦。すべてグループA規定のマシンだ。

 オリオールの勝利によってドライバーズチャンピオンを獲得。またこの年のメーカータイトルもトヨタが獲得した。

*   *   *

佐久間 健/大学生のときに、初めてラリーに参加する。最初はドライバーだったが、のちにナビゲーターとなり篠塚建次郎、岩下良雄、高岡祥郎、横山文一、平林武らとコンビをくみ1986年には綾部美津雄とレオーネで全日本ラリー選手権のチャンピオンになる。

 ラリーは1974年にはじめてWRCのツールドコルスを取材。その後年に何回かWRCを取材し、1990年代にはWRC全戦を取材するようになる。全戦取材は2004年まで続いた。その他アジアパシフィック選手権、ダカールラリー、パイクスピークヒルクライムなどの取材も行う。

【画像ギャラリー】コースアウトするインプレッサ、目前を走り抜けるセリカ……カルロス・サインツの慟哭

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