ホンダ開発陣の思いよ届け!! 『あともう一歩』だった技術たち 5選

開発陣の思いよ届け!! ホンダの『あともう一歩』だった技術たち

 ホンダは1970年代にアメリカで施行されたマスキー法と呼ばれる非常に厳しい排ガス規制を最初にクリアしたCVCCエンジンを世に送り出した。

 ほかにも、扱いやすさとパワーの両立や低燃費エンジンにも使えるVTEC(可変バルブタイミング機構)、小さいクルマでも広いキャビンとラゲッジスペースの実現に貢献するセンタータンクレイアウトなど、人に役立つ画期的な技術を多数生み出してきた自動車メーカーである。

 しかし、その反面で渾身の技術ながらイマイチ花開かなかったものも少なくない。

 ここではホンダのそんな技術たちをピックアップしてみた。

文/永田恵一、写真/HONDA

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■DACCエンジン

1969年に登場したホンダ 1300。本田宗一郎の空冷へのこだわりから生まれたのがDACCエンジンだった

 これはCVCCエンジンを搭載した初代シビックが登場する前となる、1960年代後半の古い話である。

 ホンダは1969年に同社としては初の小型乗用車となる1300を投入するのだが、1300はエンジンが空冷から水冷に移行していた時代に、DACC(デュオ・ダイナ・エア・クーリングシステム、一体式二重空冷エンジン)を搭載していた。

 DACCエンジンは水冷エンジンのブロックにある水路のようなものを空冷エンジンに加え、そこにファンで空気を送り、走行風も加えて冷却するというもので、DACCエンジンは空冷エンジンの支持者だった本田宗一郎氏の強い主張により市販化されたと言われている。

 DACCは空冷エンジン、ホンダエンジンらしい刺激あるフィーリングだったのは確かだったのだが、ファンが必要なことなどから安価、軽量というメリットを持つ空冷エンジンながら、それがなくなってしまった。

 また、クルマ全体で見てもDACCエンジンは重量が重かったため、1300はハンドリングがトリッキーという弱点もあった。

 そのため1300は商業的には失敗し、ホンダの四輪部門はピンチに陥るのだが、最後のチャンスとして開発された1972年登場の初代シビックの大ヒットで息を吹き返すところは実にホンダらしい。

 また、本田宗一郎氏はDACCエンジンがきっかけで現場のエンジニアと対立し、最終的に初代シビックの登場後に副社長だった藤沢武夫氏とともに社長のポジションから引退するのだが、このエピソードも本田宗一郎氏の引き際という潔さを象徴するものでもあった。

■FFミドシップ構造

FFミドシップを採用したホンダ ビガー。FR車のようなシャープなデザインをFF車で実現しようと言う苦肉の策だったのではという説もある

 マークII三兄弟やローレルといった上級小型車というジャンルが売れまくっていた1989年に、ホンダはアコードインスパイア&3代目ビガーでこのジャンルに参入した。

 このジャンルは6気筒エンジンを搭載したFR車とするのが当時のセオリーだった。

 しかし、アコードインスパイア&ビガーは「重量配分の適正化によるハンドリングの向上」などといった理由で、直列5気筒を縦方向に搭載し、その後ろにトランスミッションを置き、トランスミッションと独立したデファレンシャルはエクテンションシャフトでつなぐ、FFミドシップと呼ぶ構造を採用した。

 FFミドシップはフロントの軽さにより「トラクション(駆動力)が不足している」という評価があったほか、FF車なのにキャビンのトランスミッションが張り出すためFF車のメリットである広さがないという弱点もあった。

 それだけにFFミドシップを採用した陰の大きな理由は「FF車ながら前輪の位置の自由度を増やすことで、FR車のようなフロントオーバーハングの短いシャープなデザインとするためだったのでは」という説もあった。

 アコードインスパイア&3代目ビガーは内外装が魅力的だったことを大きな理由にそれなりに成功したのだが、その後FFミドシップを採用した2代目と3代目のレジェンドや2代目アスコット&ラファーガ、2代目インスパイア&セイバーは低調だった。

 そういった経緯もあり、結局ホンダのラージセダンは1990年代終盤からオーソドックスなエンジン横置き構造に戻っている。

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