■デリカD:5やパジェロを生産していたパジェロ製造とはどんな会社?
ここで閉鎖となるパジェロ製造が、どんな会社だったのか、その歴史を少し振り返りたい。
その原点は、1943年12月に創業した「東洋航機株式会社(岐阜市)」に始まる。当初は、航空機部品を作っていたが、1949年には、自動車車体の製造加工に転身。ここより自動車製造としての歴史が始まった。航空機部品を生存していたことからも、当時から技術力の高い会社だったことが伺える。
自動車製造に転身後は、三菱ジープをはじめ、小型トラック「フォルテ」や現在の社名の由来となる歴代パジェロ、チャレンジャーなど、タフな三菱車たちの製造に携わった。
現在は、100%三菱自動車工業の子会社であるが、もともとは独立した会社であっため、三菱車以外の生産も請け負っていたこともある。意外な車種では、1984年より「シティカブリオレ」の一貫製造が挙げられる。この事実を知る人は、そう多くないだろう。
また自動車以外にも、1962年より三菱電機のエスカレータートラスの製造も手掛けていたこともある。この柔軟な生産対応も、同社の技術の高さを象徴するエピソードといえよう。そんな同社の累計生産台数は、396万台にも及ぶ。そのうち325万台がパジェロを占めるというから驚く。
1995年より同社が「パジェロ製造」に社名を変更しているが、そこには単に三菱車生産中心である業務内容を示すだけでなく、名車パジェロを世界中に供給する同社の誇りを象徴するものだったに違いない。
■コロナ禍の中残念ながら生産終了。そのノウハウは三菱自動車へ受け継がれる
最後の年となった今年は、コロナ禍ということもあり、工場見学やイベントも中止に。多くの人がパジェロ製造の最後を別れが出来なかったのは残念だ。
しかし、同社の公式サイトでは、昨年の工場見学中止を受けて製作されたバーチャル工場見学の動画が公開されている。その動画の中では、パジェロ製造の人々が心を込めてデリカD:5を作り上げる様子が紹介されているので、ぜひ視聴して見て欲しい。 ただパジャロ製造の技術者たちの一部は、岡崎製作所に移籍し、再び製造に携わる。長年培った同社の技術とノウハウは、三菱自動車工業の財産のひとつとして、今後も受け継がれていくことだろう。
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