■写真とスペアキーで心に思い出を刻み込む
納車当日、来店すると少々元気のない子どもたち。対照的にプジョー206はピカピカに輝いている。前日に家族全員で洗車し、ピカピカに磨き上げたのだとお父さんは話してくれた。
「納車の手続きに入る前に、プジョーと写真を撮りませんか?」と私は提案した。ディーラー入り口の特等席にクルマを置き、筆者のカメラでクルマを入れた家族写真を撮影する。カメラの液晶越しに、子どもたちの物憂げな顔が見えた。
勤務していた販売店には納車のために使う専用ガレージがある。新車とご対面する前に、そのガレージのシャッター前へ、プジョー 206を移動させた。
応接室で待っていたオーナー家族を呼びに行くと、子どもたちがシクシクと泣いている。「プジョーとお別れするのは寂しいよ」と訴えていた。私は「新しいクルマをプジョーと一緒に見よう」と、子どもたちをなだめ、ガレージの前へと連れ出す。
プジョーの前に子どもたちには立ってもらい、ガレージのシャッターを開ける。家族で磨いたプジョーと同じくらい光っている新車を、思い出のプジョーと目にして、少し子どもたちの表情がほころんだ。
新車の前でも家族写真を撮った。クルマの使用方法を説明したのちに、私はすぐに写真を印刷し、事前に用意しておいた3枚写真がおさまる写真立てに収納する。2枚の家族写真、そして先に撮影しておいたプジョーと新車だけのツーショット写真を添えて。
新車での出発直前、写真立ては娘さんへ、そしてプジョーのスペアキーは息子さんへそれぞれ手渡した。キーの先は少し削らせてもらって使用できない状態にしたが、プジョーのマークはしっかりと刻まれている。
下取り査定時、スペアキーはないと言われていたので、査定額の中にはそもそも含まれていなかった。スペアキーを渡すのは、私の業務としても問題はない。
プジョーとの思い出をしっかりと手にすると、二人はプジョーのもとへ駆け寄る。「バイバイ、元気でね」とプジョーとお別れをした二人は、新しいクルマの後部座席へ乗り込んでいった。
多くのクルマを納車してきたが、子どもたちが乗っていたクルマの傷の歴史を話してくれたのも、クルマとの別れが寂しくて泣いていたのも、私の納車歴では初めての出来事だった。筆者の中では忘れられない思い出であり、幼少期の記憶が思い返される体験でもあった。
* * *
実は、筆者が3歳の頃、父親がクルマを乗り換えている。マツダ ファミリアからトヨタ カムリへ乗り換えたのだが、筆者はファミリアが大好きだった。経緯は詳しくわからないが、大好きだったファミリアのスペアキーは、筆者の手元にある。もう30年以上も大切に保管してある宝物だ。
筆者がスペアキーを渡した彼が、今、その鍵を見てどう思うのだろうか。筆者としては、一人の若者がクルマを好きでいてくれる、ひとつのきっかけを作ることができたのならそれでいい。
クルマは家族の思い出をたっぷりと乗せて走っている。ペットなどには付けられる「愛」の文字(愛犬・愛猫等)だが、「愛車」というようにモノに付くのは珍しい。クルマはそれだけ、人の想いが詰まっているものなのだと思う。
下取り車には、それぞれの歩んできた歴史が、深く刻まれている。
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