■両親の反対を押し切って芸術大学へ進学
幼稚園の頃だと思うが私は、なぜか流線型デザインに強く惹かれていた。幼心に“とにかくカッコいい”存在であり、流線型のものに片っ端から興味を抱いていたのだ。
なかでも電車が一番だった。当時、神戸〜大阪〜京都を走っていた鉄道は、とくに神戸〜大阪間では最も山側を走る阪急神戸線、そして海側を走る阪神本線、その間を駆けぬける国鉄(現JR)の3社が、まさに威信をかけて電車のスピード競争を繰り広げていた。
そこに国鉄が持ち込んできたのが、当時としては珍しい流線型デザインの電車、国鉄52系であり、マニアの間では“流電”と呼ばれるものである。とにかくそのデザインに幼心を奪われた私は“少しでいいから乗せてくれ“と母親にねだっては困らせていたのだ。
その後、私は父の仕事の関係で日本統治下の京城(ソウル)で過ごし、小学生の時に現地で終戦を迎え日本に引き上げてきた。
その後、中学生になった私だったが、流線型へのこだわりは相変わらず。あるとき筆記具の販売店で流線型のパーカーの万年筆に出会い、その美しさに心を奪われた。
横にあった国産のパイロットの万年筆と比べるとデザイン的な遅れを感じ、残念な気持ちになったことを今も覚えている。
当時、万年筆といえば高級品であり、買ってもらえなかったが、それ以上に「日本もデザインをしっかりとやらなければいけない」と強烈に感じたのだ。
そんな思いを抱いていた私は高校生になるとデザイナーになりたい、特にクルマなどの乗り物をデザインしてみたいと考えるようになっていた。そこで父に「デザイナーを目指したい」と伝えると猛反対された。この頃、デザイナーといえば服飾関係のイメージだった。
「そんな軟弱で不確かなもので食っていけるのか。これからは経済だ」と言うのだ。大学進学は認めてもらえたのはいいが、デザイナーという選択はこの時点で否定された。だが、いくら考えても諦められなかった。
そこで私は父に内緒で東京芸大を受験した。幼い頃からデザイン画は描いていたので自信はあった。しかしほかの受験生たちは既に中学生の頃からデッサンの基礎を学び、東京芸大受験に備えていたような人ばかり。私には経験のない分野であり、見事に不合格。
それでも諦めず、次の年も挑戦したが、やはりデッサンで落とされた。デザインが100点というだけでは無理だった。さすがにこれ以上の浪人は無理と考え、浪人生活3年目で日本大学芸術学部、通称・日芸(以下、日芸)を狙った。
当時、東京芸大のほかに、クルマのデザインをはじめとした工業デザインを学ぶには千葉大学の工学部工業意匠学科があったが、確実に合格するには日芸1本に絞ることが最善だった。
実はこの決断には、もうひとつ理由があった。デザイナーの道しか考えていなかった私はある時、日芸の教授からドイツのバウハウス・デザインという“最先端のデザイン教育をやる”と聞いたからだ。
すぐに大学に行き、その教授にいろいろと聞いてみた。その熱心さが功を奏したのか「デッサンなどは別にいいから、うちに来なさい!」となった。まさに日芸に拾われたわけだが、同時に私は浪人中にある実績を作っていた。
当時、大阪のそごう百貨店にて日本で最初のデザイン展が開かれていた。私はそこにも押しかけ「デザインをやりたい、とくに自動車のデザインをやりたい」と無茶な相談をした。するとデザイン展の責任者である知久 篤氏という方が「自分が顧問をやっているダイハツに行ってみたらどうだ」と言うのである。
もちろん私は迷うことなく飛んで行き、直談判。ダイハツにしても、いきなり学生服を着た浪人生がやって来て「デザインをやらせろ」と突然言うのだから驚いたはずである。
一方で、ライバルのマツダは小型3輪車を売り出して人気を得ていた。そんな状況からか、ダイハツとしても「坊や、いいところに来た。実は今、大阪府内にある意匠研究所のようなところに、うちの小型3輪車のデザインを頼んでいる。そこで少しアイデアを出してくれないか」となったのだ。
ところがそこを訪ねてみると、自動車どころか乗り物のデザインとは無縁の、ホーローの鍋釜に描かれる花柄のデザインなどを手掛けるようなところだった。
当然ダイハツの要望にもどう対応していいか、少々困っているような状況だった。そこに私が訪ねたものだから、渡りに船で「すぐに手伝ってくれ」となった。
そこで私は「フロント部分に“クロームメッキのグリル”を付けてみたらどうか」というアイデアなどを提案すると採用された。後にこのグリルはダイハツの小型3輪に使われることになる。
このように浪人中の私は知久氏にお世話になり、実績を作ることができた。その意味からいっても尊敬すべき先生である。
その知久氏だが実はダイハツのミゼットなどもデザインを手掛けているが、あまりそのことは表に出て来ない。またミゼットの他にも東芝の炊飯器や、ソニー初のテープレコーダーなどを手掛けた、優れたデザイナーである。
コメント
コメントの使い方