■未必の故意で殺人罪にも問える事例を危険運転致死傷罪にこだわる警察の事情とは?
参考までに「未必の故意」とは「犯罪事実の発生を積極的には意図しないが、自分の行為からそのような事実が発生するかもしれないと思いながらあえて実行する」ことを意味する。今回のような事件での判例こそないが、状況からすれば紛うことなき未必の故意であろう。判例がなかったら最高裁まで争うことになるだろうけれど、相当の確率で有罪に持ち込めると法曹界の皆さんは言う。
じゃ、なんで危険運転致死傷罪にしたのか。このあたり、警察の内部事情になってくるようだ。以下、法曹関係者の予想でしかないのだけれど、警察のなかで交通関係と刑事犯罪の担当が縦割りになっているという。
高速道路で発生した事件のため、当然ながら担当部署は交通関係となる。未必の故意による殺人罪で書類送検するとなれば、違う部署の担当になってくる。
それを嫌がった、ということ。実際、警察組織の縦割り意識は猛烈に強く、自分の担当分野だと考えたら同じ警察であっても譲らない。加えて交通関係の警察としちゃ、国民の怒りだって大きいことを考慮したかったのだろう。あおり運転を何とかしたかった、ということかもしれません。
■今回無罪でも将来的に「あおり運転の厳罰化」への環境整備が警察の狙い⁉
考えて欲しい。今回無罪になったとしよう。多くの国民は法の不備に対し、怒ると思う。
交通関係の警察組織からすれば、国民の怒りの声を背に受けることで今回の事件を期に「あおり運転」を危険運転致死傷罪の対象に加えられる。つまり、「有罪になれば判例になって次から適用可能。無罪になったとしても法律にあおり運転をパターンとして追加することで次回から簡単に有罪化できる」と考えたのかもしれない。警察官僚、優秀な人が多いですから。
参考までに書いておくと、被告は事件前、運転時の暴力沙汰を引き起こしており、この時点で警察がしっかり対応していればずいぶん状況は違っていたと思う。なのに、山口県の地方検察庁は不起訴処分。おとがめまったくなし、ということです。おそらく同じようなトラブルを複数起こしていたと思われる。事件後ですら他車を止めるなど、同じようなことをしている。
このままだと無罪放免になってしまう。今後も同じような暴力沙汰を繰り返すと予想される。「完全に停止していなかったので一時停止違反」とキップを切る警察とは思えない温情のある対応に驚く。
どうなっているのだろうか。警察はあおり運転について社会的に信頼されている識者を交え(御用学者や御用知識人じゃ意味なし)、実効性のある対応策を真摯に考えるべきだと思う。
【画像ギャラリー】あおり運転から引き起こされた痛ましい事故。いまだ裁判で争われている争点は何か?(6枚)画像ギャラリー
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