新型ノア/ヴォクシー登場で今改めて考える~かつて多く存在した兄弟車たちの相克

■折しも日本はバブル景気の最中。兄弟車を作れば飛ぶように売れる時代でもあった

 破竹の快進撃を続け、大ブレイクするのは1984年夏に3兄弟が一斉にモデルチェンジしてからだ。デザインの差別化を強調したX70系のマークII3兄弟は大ヒット。マークIIだけで月に2万台を販売し、スーパーホワイトのボディカラーがバカ売れした。

 そしてソアラとクラウンを巻き込んでハイソカー旋風を巻き起こすのである。これに続くX80系マークII/チェイサー/クレスタもバブルの後押しを受け、売れに売れた。

1980年代はまさにマークII3兄弟の絶頂期となった。特に1988年に登場したX80系はマークIIのみで84万台を販売!! ホワイトボディにTWINCAM24のロゴがオーナーの心をがっちり掴んだ
1980年代はまさにマークII3兄弟の絶頂期となった。特に1988年に登場したX80系はマークIIのみで84万台を販売!! ホワイトボディにTWINCAM24のロゴがオーナーの心をがっちり掴んだ
チェイサーは4代目。3兄弟のなかでは若年層をターゲットとしたため、4ドアハードトップのみの設定。TWINCAM、TWINTURBOとツイン尽くしで人気沸騰! このシリーズのみで29万台を販売
チェイサーは4代目。3兄弟のなかでは若年層をターゲットとしたため、4ドアハードトップのみの設定。TWINCAM、TWINTURBOとツイン尽くしで人気沸騰! このシリーズのみで29万台を販売
3代目クレスタ。チェイサーとは対照的にこちらはセダンのみの設定。ハードトップに比べ落ち着いた外観と豪華賢覧な内装はシニア層の満足度が高かった。このシリーズのみで36万台を販売
3代目クレスタ。チェイサーとは対照的にこちらはセダンのみの設定。ハードトップに比べ落ち着いた外観と豪華賢覧な内装はシニア層の満足度が高かった。このシリーズのみで36万台を販売

 1985年秋、トヨタはマークIIの下のクラスをFF化する大胆な戦略に出る。スペシャルティカーのセリカも、フロアまわりやサスペンションをコロナとカリーナのFFシリーズから譲り受け、FFスポーツに生まれ変わった。

 この時に兄弟車として誕生したのがピラーレス4ドアハードトップのカリーナEDだ。セリカの4ドア版と言える兄弟車で、エレガントなルックスがウケ、女性ファンを増やしている。走りの実力も高かった。

1985年ついにセリカがFF化。それまでの角ばったデザインから一気に流面形へ変化した。このクルマでスキーに行ってしまう映画『私をスキーに連れて行って』も大ヒット
1985年ついにセリカがFF化。それまでの角ばったデザインから一気に流面形へ変化した。このクルマでスキーに行ってしまう映画『私をスキーに連れて行って』も大ヒット
カリーナED。FFとなったセリカをベースにスモールキャビンを備えたスペシャルティなデザインで大ヒット。EDは「エキサイティング・ドレッシー」の略だそうだ
カリーナED。FFとなったセリカをベースにスモールキャビンを備えたスペシャルティなデザインで大ヒット。EDは「エキサイティング・ドレッシー」の略だそうだ

 また、セリカとカリーナEDの兄弟車としてノッバックの2ドアクーペ、コロナクーペも加わっている。だが、セリカとカリーナEDほどには売れなかった。

 そこで1989年にセリカとカリーナEDがモデルチェンジした時に4ドアハードトップにボディタイプを変更。カリーナEDの双子車となり、車名もコロナEXiV(エクシヴ)に変えている。バブル期だったからそれなりに売れたが、カリーナEDのような名声は築けなかった。

カリーナEDに続き、コロナにもエクシブが追加された。EDも2代目にチェンジしたタイミングだったためか、兄弟が増えても初代ほどのヒットにはならかった
カリーナEDに続き、コロナにもエクシブが追加された。EDも2代目にチェンジしたタイミングだったためか、兄弟が増えても初代ほどのヒットにはならかった

■日産も積極的に兄弟車戦略を進めたが徐々に整理され、ほぼ全車が消滅

 日産にも多くの兄弟車が存在する。初期の作品は2代目バイオレットが登場した1977年春に誕生したオースターだ。3カ月後にはリベルタが加わり、3兄弟となっている。この3車は81年にモデルチェンジした時にFF車になり、これを機に車名をバイオレット・リベルタ、オースターJX、スタンザFXに改名した。

日産「バイオレット」。大衆車サニーと上級移行したブルーバードの中間車種として登場。初代はブルーバード系の車両を示す、710系の型式を名乗る
日産「バイオレット」。大衆車サニーと上級移行したブルーバードの中間車種として登場。初代はブルーバード系の車両を示す、710系の型式を名乗る

 が、まだFF車に懐疑的な人も多く、バイオレットは1982年に生産終了。残る2車の兄弟車はモデルチェンジしたものの、1990年に初代P10プリメーラにバトンを託して消滅する。

3代目はFFへ移行。しかしブルーバードとの競合等も考慮し、発売後わずか1年で1クラス下のリベルタビラにバトンタッチされることとなる
3代目はFFへ移行。しかしブルーバードとの競合等も考慮し、発売後わずか1年で1クラス下のリベルタビラにバトンタッチされることとなる
兄弟車となったオースターはそのまま存続。スタンザとオースターはもう一世代生き延びたものの、やはり販売は振るわずプリメーラに統合される形で廃止となった
兄弟車となったオースターはそのまま存続。スタンザとオースターはもう一世代生き延びたものの、やはり販売は振るわずプリメーラに統合される形で廃止となった

 この下のクラスにはチェリーの後継としてパルサーを1978年に送り込んだ。1980年にはプリンス店に兄弟車のラングレーを投入。次の3代目パルサーではクーペモデルをエクサの名で発売している。

日産のFFモデル、パルサー。海外向け車両として開発されていたこともあり、車両としてのデキはよかった。今も欧州や中国でモデルとしては存続している
日産のFFモデル、パルサー。海外向け車両として開発されていたこともあり、車両としてのデキはよかった。今も欧州や中国でモデルとしては存続している
上のバイオレット系の流れを汲むリベルタビラ。ミニブルーバードの趣となったという意味では初代バイオレットに先祖返りした感じか
上のバイオレット系の流れを汲むリベルタビラ。ミニブルーバードの趣となったという意味では初代バイオレットに先祖返りした感じか
こちらはミニスカイラインの位置づけとした販売された「ラングレー」。写真ではわからないがセダンは丸目4灯でスカイライン系統であることをアピールした
こちらはミニスカイラインの位置づけとした販売された「ラングレー」。写真ではわからないがセダンは丸目4灯でスカイライン系統であることをアピールした
さらにアメリカ向けに開発されたクーペ、エクサも投入された。リアのハッチは着脱可能(北米ではキャノピータイプと交換可能)。Tバールーフも装備されたので思い切りオープンエアが楽しめた
さらにアメリカ向けに開発されたクーペ、エクサも投入された。リアのハッチは着脱可能(北米ではキャノピータイプと交換可能)。Tバールーフも装備されたので思い切りオープンエアが楽しめた

 そして1986年に登場した3代目パルサーの時にEXAを独立させ、「ミニ・スカイライン」の名で売ったラングレーに加え、日産店に4番目の兄弟車、リベルタビラを送り込んだ。が、パルサー以外は1990年に4代目パルサーに一本化され、消滅している。

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