■折しも日本はバブル景気の最中。兄弟車を作れば飛ぶように売れる時代でもあった
破竹の快進撃を続け、大ブレイクするのは1984年夏に3兄弟が一斉にモデルチェンジしてからだ。デザインの差別化を強調したX70系のマークII3兄弟は大ヒット。マークIIだけで月に2万台を販売し、スーパーホワイトのボディカラーがバカ売れした。
そしてソアラとクラウンを巻き込んでハイソカー旋風を巻き起こすのである。これに続くX80系マークII/チェイサー/クレスタもバブルの後押しを受け、売れに売れた。
1985年秋、トヨタはマークIIの下のクラスをFF化する大胆な戦略に出る。スペシャルティカーのセリカも、フロアまわりやサスペンションをコロナとカリーナのFFシリーズから譲り受け、FFスポーツに生まれ変わった。
この時に兄弟車として誕生したのがピラーレス4ドアハードトップのカリーナEDだ。セリカの4ドア版と言える兄弟車で、エレガントなルックスがウケ、女性ファンを増やしている。走りの実力も高かった。
また、セリカとカリーナEDの兄弟車としてノッバックの2ドアクーペ、コロナクーペも加わっている。だが、セリカとカリーナEDほどには売れなかった。
そこで1989年にセリカとカリーナEDがモデルチェンジした時に4ドアハードトップにボディタイプを変更。カリーナEDの双子車となり、車名もコロナEXiV(エクシヴ)に変えている。バブル期だったからそれなりに売れたが、カリーナEDのような名声は築けなかった。
■日産も積極的に兄弟車戦略を進めたが徐々に整理され、ほぼ全車が消滅
日産にも多くの兄弟車が存在する。初期の作品は2代目バイオレットが登場した1977年春に誕生したオースターだ。3カ月後にはリベルタが加わり、3兄弟となっている。この3車は81年にモデルチェンジした時にFF車になり、これを機に車名をバイオレット・リベルタ、オースターJX、スタンザFXに改名した。
が、まだFF車に懐疑的な人も多く、バイオレットは1982年に生産終了。残る2車の兄弟車はモデルチェンジしたものの、1990年に初代P10プリメーラにバトンを託して消滅する。
この下のクラスにはチェリーの後継としてパルサーを1978年に送り込んだ。1980年にはプリンス店に兄弟車のラングレーを投入。次の3代目パルサーではクーペモデルをエクサの名で発売している。
そして1986年に登場した3代目パルサーの時にEXAを独立させ、「ミニ・スカイライン」の名で売ったラングレーに加え、日産店に4番目の兄弟車、リベルタビラを送り込んだ。が、パルサー以外は1990年に4代目パルサーに一本化され、消滅している。
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