新型ノア/ヴォクシー登場で今改めて考える~かつて多く存在した兄弟車たちの相克

■日産の兄弟車戦略で唯一気を吐いたのがS13系のシルビアと180SXか

 日産で数少ない成功例はS13シルビアの兄弟車として1989年春に誕生した180SXだろう。ガゼールからバトンを引き継いで登場した。180SXはリトラクタブルヘッドライトの精悍な3ドアハッチバックのスポーツクーペで、ドア以外は専用デザインだ。

 当初は1.8ℓエンジンでスタートし、中期モデルからはSR20系の2Lエンジンに換装している。次のS14シルビアはワイドボディをまとっていたが、操る楽しさに満ちた5ナンバー枠の2LFRスポーツにこだわる走り屋たちは180SXに惹かれ続けたのだ。

いわずとしれたS13シルビア。アートフォースシルビアとして、バブル期に一世を風靡した。写真はルーフを幌に変えたオープンカー仕様。売れればさまざまな仕様が追加されるものだ
いわずとしれたS13シルビア。アートフォースシルビアとして、バブル期に一世を風靡した。写真はルーフを幌に変えたオープンカー仕様。売れればさまざまな仕様が追加されるものだ
そのS13をベースに主に北米向け販売を目的として開発された180SX。S13生産終了後も継続生産された稀有なモデル。最終的には他社への生産委託が可能とした延命策が功奏した例だ<br>
そのS13をベースに主に北米向け販売を目的として開発された180SX。S13生産終了後も継続生産された稀有なモデル。最終的には他社への生産委託が可能とした延命策が功奏した例だ

 安定して売れ続けたため10年近く第一線で活躍。今も名車として賞賛されている。

■マツダの野望はバブルと消えた「クロノスの悲劇」

 マツダはバブル期に浮かれて5チャンネル体制を敷いた。これを機にラインナップも一新し、ニューモデルをたくさん生み出している。

 最も多産系だったのはカペラの後継として登場したクロノスを中心とする8兄弟だった。アルファベットと数字を組み合わせた兄弟車も多かったが、性格分けは明確ではなかった。

マツダ「クロノス」。カペラが大型化し、全幅が1700㎜を超えたため車名を変えたという経緯がある。5チャンネルに増殖したなかでクロノスはマツダ店で販売された。すべての悲劇はここから始まった
マツダ「クロノス」。カペラが大型化し、全幅が1700㎜を超えたため車名を変えたという経緯がある。5チャンネルに増殖したなかでクロノスはマツダ店で販売された。すべての悲劇はここから始まった
アンフィニ「MS-6」。クロノスの5ドアハッチバックセダン版だった。欧州では好評だったこのスタイリングも日本では不評で、販売は低迷した
アンフィニ「MS-6」。クロノスの5ドアハッチバックセダン版だった。欧州では好評だったこのスタイリングも日本では不評で、販売は低迷した
ユーノス「500」。ユーノスブランドの理念である10年基準のもとに開発された。デザイン的にもシリーズ中で最も完成された車両であり、現在もその美しさが評価されている
ユーノス「500」。ユーノスブランドの理念である10年基準のもとに開発された。デザイン的にもシリーズ中で最も完成された車両であり、現在もその美しさが評価されている
マツダ「MX-6」。クロノスベースのクーペでマツダ店で販売。日本ではまったく振るわなかったが、イギリスなどではカーオブサイヤーを獲得するなど高評価だった
マツダ「MX-6」。クロノスベースのクーペでマツダ店で販売。日本ではまったく振るわなかったが、イギリスなどではカーオブサイヤーを獲得するなど高評価だった

 しかし、バブルが弾け、5チャンネルの販売網を切り回す体力はなかったので数年で崩壊している。クロノスの悲劇だった。

■三菱も1990年代は積極的に車種展開。そのなかから生まれた「ランエボ」

 三菱は1980年代にFFコンパクトカーのミラージュとランサーを兄弟車に仕立てている。プラザ店の顧客を増やすためだが、時代に先駆けて4WDターボを設定するなど、新しい試みにも挑戦した。

三菱の小型車を支えてきたランサーに転機をもたらした「ランサーエボリューション」シリーズ(写真はエボIV)。<br>このクルマで培われた走りの技術は電動化が進む今の三菱車にも連綿と受け継がれている
三菱の小型車を支えてきたランサーに転機をもたらした「ランサーエボリューション」シリーズ(写真はエボIV)。
このクルマで培われた走りの技術は電動化が進む今の三菱車にも連綿と受け継がれている

 1990年代になってもミラージュとランサーの兄弟関係は続いたが、ランサーを高性能化したエボリューションを投入したことが功を奏し、力関係は逆転する。

三菱「ミラージュ」。もともと小型ハッチバック車主体だったミラージュ。1980年代以降はさまざまなバリエーションを拡充。ただし迷走感も否めず、徐々にランサーに押され、一旦フェードアウトすることに
三菱「ミラージュ」。もともと小型ハッチバック車主体だったミラージュ。1980年代以降はさまざまなバリエーションを拡充。ただし迷走感も否めず、徐々にランサーに押され、一旦フェードアウトすることに
FR車だったランサーEXが走りのモデルとして一時代を築いた後、ミラージュの兄弟車になったランサー。しかし1990年代に入ってから派生車である「エボリューション」台頭で、ランサーが三菱の販売の主力となった   
FR車だったランサーEXが走りのモデルとして一時代を築いた後、ミラージュの兄弟車になったランサー。しかし1990年代に入ってから派生車である「エボリューション」台頭で、ランサーが三菱の販売の主力となった  

 この手法を三菱は上級クラスにも持ち込んだ。1990年にフルタイム4WDにV型6気筒エンジンのディアマンテを送り出し、その兄弟車として4ドアセダン版のシグマも販売した。

1980年代後半にヒットしたギャランをベースにさらに大型化、高級化したのが初代ディアマンテとシグマだ。写真のシグマはその後ワゴンのベースにもなった
1980年代後半にヒットしたギャランをベースにさらに大型化、高級化したのが初代ディアマンテとシグマだ。写真のシグマはその後ワゴンのベースにもなった
こちらは4ドアハードトップ版のディアマンテ。日本の車両税制に改正に合わせたエンジンラインナップを先行して取り揃えたこともあり、大ヒットした
こちらは4ドアハードトップ版のディアマンテ。日本の車両税制に改正に合わせたエンジンラインナップを先行して取り揃えたこともあり、大ヒットした

 この戦略は当たり、ディアマンテは大ヒットを飛ばしている。シグマはそれなりの販売にとどまったが、走りの実力は大きく引き上げられ、新境地を切り開くことに成功した。

 20世紀の最後の20年、兄弟車の誕生によって日本の自動車界は一気に華やかになっている。販売店を整理し、オンライン販売も視野に入った今は、兄弟車を必要としない。だが、違う個性で勝負し、強い印象を残した兄弟車の登場をもう一度見てみたいとも思う。

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