昨年末にフルモデルチェンジした、ミニバン「ノア」と「ヴォクシー」。今回のモデルチェンジを機に「ノア」に統一化されるとの話だったが、土壇場でヴォクシーの存続が決まったらしい。今回は兄弟車の栄枯盛衰を見る
2代目カローラ。初代発売より日本のトップセラーとして君臨し続けた偉大な国民車となり、現在に至る。2代目も初代になかった装備の充実により商品力をアップさせ、販売を伸ばした
こちらは「スプリンター」。フロントグリルとライトが若干カローラと異なるくらい。ただ、違って見えるのは当時のフォードマスタングを思わせるアグレッシブなグリルとボディカラーのせい? スプリンターは2002年に販売終了
初代「セリカ」。ダルマの愛称で当時のヤングに爆発的にヒット。登場当初はオーナーの好みで仕様を決められるフルチョイスシステムも話題になった。この後FF化となり、しぶとく生き残ってきたが、2006年に販売終了してしまった
初代「カリーナ」。セリカとプラットフォーム共有するスポーツセダンとして誕生。写真は海外仕様のため左ハンドルだが、4ドア車だけにファミリーユースも意識した写真にも見える。コロナともにプレミオ/アリオンに移行したが、昨年販売終了してしまった
初代マークII。コロナの上級版として登場。エンジンはコロナと同じ1.6L(7R型)と1.9L(8R型)エンジンを搭載。1.9L版はクラウンに近いハイオーナーカー仕立てとした
1977年に登場した初代「チェイサー」。マークIIに対して、若者向けを狙った車種コンセプトだったためか、写真のような鮮やかな外装色が設定されたり、2ドアハードトップも用意された
初代「クレスタ」。4代目マークII、2代目チェイサーに半年先駆けて登場した。ハイソカーブームの火付け役となるクルマらしく、角ばったボディと金属調加飾で高級感の増したデザインだった
1980年代はまさにマークII3兄弟の絶頂期となった。特に1988年に登場したX80系はマークIIのみで84万台を販売!! ホワイトボディにTWINCAM24のロゴがオーナーの心をがっちり掴んだ
チェイサーは4代目。3兄弟のなかでは若年層をターゲットとしたため、4ドアハードトップのみの設定。TWINCAM、TWINTURBOとツイン尽くしで人気沸騰! このシリーズのみで29万台を販売
3代目クレスタ。チェイサーとは対照的にこちらはセダンのみの設定。ハードトップに比べ落ち着いた外観と豪華賢覧な内装はシニア層の満足度が高かった。このシリーズのみで36万台を販売
マークII系のその後は決して順調ではなかった。モデルチェンジの度に台数を減らし、MARK Xへバトンタッチ。そのMARK Xも電動化の波に飲み込まれる形で2019年に静かに幕を閉じた。写真は最後の特別仕様車、250S ファイナルエディション
1985年ついにセリカがFF化。それまでの角ばったデザインから一気に流面形へ変化した。このクルマでスキーにいってしまう映画『私をスキーに連れて行って』も大ヒット
初代カリーナED。FFとなったセリカをベースにスモールキャビンを備えたスペシャルティなデザインで大ヒット。EDは「エキサイティング・ドレッシー」の略だそうだ
カリーナEDに続き、コロナにもエクシブが追加された。EDが2代目にチェンジしたタイミングだったが、兄弟車が増えても初代ほどのヒットにはならず、その後は車種統合の波に飲み込まれていった
日本での販売の車種がめっきり減っているなか、スペシャリティカーとして敢えて言うなら「GR86」がセリカ系の後継車となろうか? 猫も杓子もSUV/電動化に抵抗するように昨年登場したが、今もピュアエンジンの熱い走りを楽しめるクルマだ
日産「バイオレット」大衆車サニーと上級移行したブルーバードの中間車種として登場。初代はブルーバード系の車両を示す、710系の型式を名乗る
3代目はFFへ移行。しかし、ブルーバードとの競合等も考慮し、発売後わずか1年で1クラス下のリベルタビラにバトンタッチされることとなる
兄弟車となったオースターはそのまま存続。そこにもスタンザという兄弟車が存在。両車はもう一世代生き延びたものの、やはり販売は振るわずプリメーラに統合された
日産のFFモデル「パルサー」。海外向け車両として開発されていたこともあり、車両としてのデキはよかった。今も欧州などで、その名を冠したクルマがパッと復活……しては消えてを繰り返している
上のバイオレット系の流れを汲むリベルタビラ。ミニブルーバードの趣となったという意味では初代バイオレットに先祖返りした感じか
こちらはミニスカイラインの位置づけとした販売された「ラングレー」。写真ではわからないがセダンはテールランプが丸目4灯でスカイライン系統であることをアピールした
さらにアメリカ向けに開発されたクーペ、エクサも投入された。リアのハッチは着脱可能(北米ではキャノピータイプと交換可能)。Tバールーフも装備されたので思い切りオープンエアが楽しめた
エクサのもう一つの形、「キャノピー」。日本では当時の法規上クーペとの交換が認められず魅力半減。アコードエアロデッキにも一脈通じるデザインだが、エクサのリアシートは殺人的に狭く、頭上空間を活かすことはできなかった
いわずとしれたS13シルビア。アートフォースシルビアとして、バブル期に一世を風靡した。写真はルーフを幌に変えたオープンカー仕様。売れればさまざまな仕様が追加されるものだ
そのS13をベースに主に北米向け販売を目的として開発された180SX。S13生産終了後も継続生産された稀有なモデル。現役の頃は少量生産のため、ちょこちょこ生産移管されつつ延命されてきたが、それが今の名声にもつながっている
マツダ「クロノス」。カペラが大型化し、全幅が1700㎜を超えたため車名を変えたという経緯がある。5チャンネルに増殖したなかでクロノスはマツダ店で販売された。すべての車種を合わせて1万台/月にも満たない販売台数に陥り、後に「クロノスの悲劇」と呼ばれた
アンフィニ「MS-6」。クロノスの5ドアハッチバックセダン版だった。欧州では好評だったこのスタイリングも日本では不評で、販売は低迷した
ユーノス「500」。ユーノスブランドの理念である10年基準のもとに開発された。デザイン的にもシリーズ中最も完成された車両であり、今もその魅力はあせない
マツダ「MX-6」。クロノスベースのクーペでマツダ店で販売。日本ではまったく振るわなかったが、イギリスなどではカーオブサイヤーを獲得するなど高評価だった
三菱の小型車を支えてきたランサーに転機をもたらした「ランサーエボリューション」シリーズ(写真はエボIV)。
このクルマで培われた走りの技術は電動化が進む今の三菱車にも連綿と受け継がれている
このクルマで培われた走りの技術は電動化が進む今の三菱車にも連綿と受け継がれている
三菱「ミラージュ」。もともと小型ハッチバック車主体だったミラージュ。80年代以降はさまざまなバリエーションを拡充した。ただし、迷走した感も否めず、徐々にランサーに押され、いったんフェードアウトすることになる
FR車だったランサーEXが走りのモデルとして一時代を築いた後、ミラージュの兄弟車に。しかし、1990年代に入ってから派生車である「エボリューション」台頭で、ランサーが三菱の販売の主力となった
1980年代後半にヒットしたギャランをベースにさらに大型化、高級化したのが初代ディアマンテとシグマだ。写真のシグマはその後ワゴンのベースにもなった
こちらは4ドアハードトップ版のディアマンテ。日本の車両税制に改正に合わせたエンジンラインナップを先行して取り揃えたこともあり、大ヒットした
本文には触れられていないが、日本御三家のもうひとつホンダはどうか?実はホンダも結構存在する。まずはシビック。1988年に登場した通称「グランドシビック」は走りの印象が強いため、セダンは陰に隠れがちだが、しっかり存在した
当時、提携関係にあった英国ローバーグループに対して、ホンダがシビックのセダンベースに上級化したモデルを供給した。その日本版が「コンチェルト」となる。シビックをシックに仕立てるために、木目調パネル迄使用された
アコードインスパイア。FFでFR的なプロポーションを実現するため、5気筒エンジンを縦置きにする何とも手の込んだクルマだった。今も海外で名前は残るが普通に横置きの高級FFセダンである。実はこのクルマにも兄弟車が存在する
もうひとつホンダの兄弟車遍歴になくてはならないクルマがある。その名は「ビガー」。1980年代中盤まではアコードと兄弟車。それ以降はインスパイアと兄弟車だった。話題になる長男に対し、次男はなかなか目立たず。辛い立場は人もクルマも変わらない