■軽量ボディに搭載されたエンジンの変遷
ところで初代CR-Xは、シビックのホイールベースを短くして、ファストバックに仕立てたクルマだ。海外ではシビックCR-Xの名で販売されていたが、国内ではなぜ「バラード」の名が冠されたのか?
バラードはシビックの姉妹車に当たるセダンだが、ヘッドライトだけ初代CR-Xと同じセミリトラクタブル方式が採用されていた(CR-Xとともにマイナーチェンジで固定式に変更)。つまりシビックよりもスポーティなイメージだったので、バラードのスポーツモデルのCR-X、という車名に決定したのである。
同車が登場したのは1983年。コンセプトは明確に「FFライトウェイトスポーツ」であり、車両重量はわずかに800kg(1.5L)しかなかった。現代で言えば軽自動車のN-ONE RSよりも軽い。その軽量ボディには、1.5L110馬力のパワーで十分。わずか2200mmしかないホイールベースのおかげで、動きは極めてクイックだった。
翌1984年、ホンダはCR-Xに1.6LDOHCエンジンを追加した。後にVTECの前身となるZCエンジンで、最高出力は135馬力である。DOHC化でエンジンヘッドが高くなったため、ボンネットにはそれをクリアするための出っ張り(パワーバルジ)が設けられ、それがまた青少年をコーフンさせた。
このパワーアップに伴い、車両重量は860kgに増加した。後に「CR-X本来のライトウェイトを捨て、パワー競争に走った」という批判も出たが、あの頃の若者は、ひたすらパワーやスペックに飢えていた。初代CR-Xは、当時ターボとともに光り輝く新技術だった「DOHC」を得たことで、マニアックなライトウェイトスポーツから、若者全員が憧れるFFハイパワースポーツへと進化したのである。
ただ、この時のマイナーチェンジで、ルーフベンチレーションは廃止されてしまった。つまり、わずか1年4か月の命だったのである。理由は「雨漏りの発生」とも言われるが、定かではない。結果的にルーフベンチレーション付きのCR-Xは極めてレアで、個人的には一度も間近で見たことがない。
■現代に味わうあの時代のライトウェイト
この初代CR-X、実際乗るとどんな感じだったのか。私が自動車メディア界に足を踏み入れたのは1989年。つまり、メディア関係者として新車の初代CR-Xに乗る機会はなかったが、十数年前、旧車として初めて試乗することができた。グレードは最強の1.6Si。もちろん5速MTである。
久しぶりに見る実物の初代CR-Xは、驚くほど小さかった。しかし存在感は大きい。強いカタマリ感が心に突き刺さる。運転席に乗り込む。いかにもこの時代のホンダらしい質素なインテリアだ。エンジンをかける。いかにもホンダらしい軽いサウンドが響く。発進。パワステはないが、車体が軽いからまったく苦ではない。
駐車場から一般道へ出て軽く加速すると、車内は昭和の青春の香りでいっぱいになった。卵かけごはんを食べながら、女の子に目を血走らせ、無意味に速く走りたいと渇望し、必死にカッコをつけていた昭和の青春。昭和の青春のFFスポーツはひたすら軽く、一切飾り気がなかった。深く考える必要がなかったあの時代、「軽くすればそれでいい」とばかりに、こんな素直なクルマが生まれていたのか……。
800kgから860kgへの重量増が、どんなマイナスを生んだのか、私には知る術もない。しかし初めて乗る860kg/135馬力のライトウェイトスポーツは、十分すぎるほどライトウェイトで、パワステのないステアリングフィールは、あまりにも青春感満タンだった。
バラードスポーツCR-Xは、2代目「CR-X」へと受け継がれたのち、3代目に至って「CR-Xデルソル」にリボーンし、不評のうちにその生涯を終えた。2代目でもVTEC搭載の1.6SiRは、車両重量1tに達していた。つまり、徐々にややこしいクルマになったわけだが、この初代CR-Xがいまだに我々の心から消えないのは、ややこしさゼロ、青春一直線の星飛雄馬だったからだろう。
初代CR-Xは、すでに極めてレアになっていて、執筆時点での中古車流通台数はわずか1台。2代目で約20台、電動トランストップの3代目デルソルも、1台のみとなっている。
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