「伝説の名車」と呼ばれるクルマがある。時の流れとともに、その真の姿は徐々に曖昧になり、靄(もや)がかかって実像が見えにくくなる。ゆえに伝説は、より伝説と化していく。
そんな伝説の名車の真実と、現在のありようを明らかにしていくのが、この連載の目的だ。ベテラン自動車評論家の清水草一が、往時の体験を振り返りながら、その魅力を語る。
文/清水草一
写真/トヨタ
■初代モデルはただの大型セダン?
トヨタ センチュリー。言わずと知れたトヨタの最高級セダンであり、天皇皇后両陛下がお乗りになる御料車でもある。
が、今回取り上げるのは、3代目となる現行型センチュリーではなく、2代目、つまり先代型センチュリーだ。これをベースに作られたセンチュリーロイヤルは、現在も御料車の最高峰。国会の開会式など、ごく限られた機会にしか出動しない特別なクルマ。つまり国産車の頂点に君臨しているのは、今でも2代目センチュリーだと言ってもいいかもしれない。
2代目センチュリーが誕生したのは、1997年。初代センチュリーは1967年生まれだから、30年目にして初めてフルモデルチェンジを受けた。まさに浮世離れした存在である。
私が物心ついた頃、すでに初代センチュリーは存在していたが、当時は世間から、現在のような尊崇は受けていなかった。もちろん別格ではあったが、その存在は「古き悪しきニッポン」とでも言おうか。どうしようもなく古臭いデザインの、時代を完全に無視したクルマで、旧ソ連の「ヴォルガ」や中国の「紅旗」に近い存在だった。個人的には、お相撲さんが乗るクルマだと思っていた。
徳大寺(有恒)巨匠はこの初代センチュリーについて、「乗り心地が気味悪いほど柔らかく、助手席に乗った家内はクルマ酔いすると言ってさっさと降りてしまった」といったことを書かれていた。カーマニア的な見地からすれば、メルセデスベンツ Sクラスとは比べるべくもない、ただフワフワ走るだけの国内専用大型セダンだったと言えるだろう。
ただセンチュリーは当時、日産 プレジデントとともに、国産車に2つしかないV8エンジン搭載車だった。排気量は3.0Lからはじまり、3.4L。そして4.0Lと拡大された。ただ、4.0Lバージョンでも、最高出力はたったの165馬力。若きカーマニアにとっては、どこを取ってもカケラも魅力のないクルマに思えた。
が、1997年に登場した2代目は違った。なんと、日本初のV12エンジンが搭載されたのである。それは、トヨタの直6(JZ型)を2基組み合わせて作られたもので、排気量は5.0L。最高出力は280馬力とやや物足りなかったが、当時の国産車には280馬力の自主規制枠があったので、それに合わせたのだろう。
コメント
コメントの使い方