■名機「EJ」エンジンと「RS」グレードの設定
初代レガシィのツーリングワゴンは、キャビンから後方を専用デザインとしている。
最大の特徴は、ルーフの途中からキックアップしたツーリングルーフだ。
ボディサイズはレオーネよりひと回り大きく、ホイールベースも長い。レオーネはキャビンが狭かったが、レガシィは広く、開放的だった。しかも風格がある。
パワートレインは新世代の水平対向4気筒と新しいトランスミッションだった。新エンジンには「EJ」という型式が与えられ、クランクシャフトからシリンダーヘッド、シリンダーブロックに至るまで、すべて新設計とした。
1.8LのEJ18型水平対向4気筒SOHC4バルブのほか、スバル初となる2LのDOHC4バルブを設定している。フラッグシップは2LのDOHCターボだ。開発目標はリッター当たり出力100馬力だった。スポーツセダンの「RS」は目標を上回る220ps/27.55kgmを絞り出した。
発売当初、ツーリングワゴンはNAエンジンだけでスタートした。だが、同年10月にターボ搭載の「GT」を投入する。RSのDOHCターボをディチューンしたFJ20型エンジンは、200ps/26.0kgmを発生。トランスミッションは5速MTと電子制御4速ATを設定し、5速AT車は刺激的な加速を見せつけた。
サスペンションは4輪ともストラットの4輪独立懸架である。レオーネが先鞭をつけたエアサスペンション仕様を設定したのも、技術にこだわるスバルらしいところだった。ツーリングワゴンは4WDモデルだけの設定とし、FF車はない。この割り切った戦略がうけ、レガシィ神話のひとつになった。
バカっ速く、路面を問わず痛快な走りを見せるスポーツワゴンのGTが投入されたことにより、レガシィは大ブレークする。
瞬く間に日本を代表するワゴンにのしあがり、しかも実力に裏打ちされた評判は、デビュー後しばらくたってからもじりじりと販売を押し上げる効果を発揮。発売2年目の1990年にも前年比10%を超える伸びを見せた。ツーリングワゴンはレガシィ全体の60%以上を占め、社会現象にもなった。
■ワゴンを「セダンの派生」と考えず、真摯に開発
大ヒットとなったモデルの宿命で、レガシィツーリングワゴンを追うように、ライバルメーカーは「刺客」を送り込む。
日産は1990年5月にアベニールを、トヨタは92年の11月にカリーナサーフの後継となるカルディナを発売している。
三菱もリベロを投入したが、レガシィらと比べると格下のイメージは拭えない。マツダはカペラカーゴで応戦した。ホンダも1991年にアメリカからアコードをベースにしたUSワゴンを輸入し、発売している。
だが、いずれのモデルもレガシィツーリングワゴンの牙城を切り崩すことはできなかった。他のメーカーのワゴンは商用バンをベースにしているクルマが多い。だが、レガシィは最初から快適な乗用車として設計され、スバル社内でもエースエンジニアが担当している。だから走りがいいだけでなく乗り心地も違っていた。開発にかける心意気からして違うのである。
レガシィは、富士重工業を名乗っていたスバルが、原点に立ち返ってクルマづくりを行った真剣勝負のクルマだ。運転して楽しいし、安全に移動できるクルマの魅力と本質を徹底的に検証し、追求した。
当時はボディ剛性や安全性能が注目されていなかったが、レガシィは世界トップレベルの強靭なプラットフォームを採用し、衝突安全性能もクラストップレベルにある。それは、フラッグシップモデルにパワフルなターボを設定していたことも大きい。強大なトルクに負けないように、シャシーやサスペンションを設計し、コストがかかっても軽量なアルミなどを多用した。
序列にこだわらないボーダーレスなクルマづくりを行い、ワゴンといえども最高のものを生み出そうとしたのである。この真摯な姿勢がクルマ好きの心に響いたのだろう。
また、レガシィは発売後も毎年のように商品性改良を行い、高みをめざした。手綱を緩めなかったこともあり、ユーザーの信頼を勝ち取ってゆく。リピーターも多かったのだ。
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