■クーペに倣ってチェンジ
このアルファ・ロメオ「スパイダー」はいくつものチェンジを繰返しつつ、じつは1990年代まで長寿を保った。
その間、ジゥリア・シリーズの変遷に伴ってエンジン排気量を拡大するなどしたのだが、ベースたるジゥリアのクーペ・ボディは1970年代後半にフェードアウトしてしまっていたから、スパイダーはジゥリア・シリーズの最生き残りのようにいわれ、クラシックな味わいも人気のポイントになったりした。
まずは佳き時代のスパイダーの移り変わりを紹介しておこう。1967年、ジゥリア・シリーズは新しい「1750」エンジンを搭載してアルファ・ロメオ1750GTVになる。
この数字は戦前レースで大活躍したモデルに由来する拘りの数字で、1779ccだから本当なら1.8Lと書けばいいものを、わざわざ「1750」とするあたりもイタリアらしいところだ。
早速スパイダーもこのエンジンを搭載され、1750スパイダー・ヴェローチェになる。つづいて1969年には特徴的だったリアエンドが、スパリと切り落とした「コーダトロンカ」スタイルに変更される。全長も4120mmに短くなり、きびきびした印象に変わった。
また1968年からは1.3Lエンジン搭載のスパイダー1300ジュニアが加えられ、以後スパイダーは二本立てで生産がつづけられる。
1971年にふたたびエンジンを拡大、2.0Lになったのを受けてスパイダー2000ヴェローチェにチェンジ。「ヴェローチェ」とは速いの意味のイタリア語で、高性能版によく使われている。
さまざまの規制が実施された1970年代だったが、ほとんどのオープンモデルが消滅するなかで、アルファ・ロメオのスパイダーは佳き時代のスタイリングを保ちつつ、生産をつづけた。
■長寿のスパイダー
1980年代になると、わが国において長くディーラーであった伊藤忠オートが撤退、しばらくディーラーが存在しない時期があった。1988年に大沢商会、追って1990年にアルファロメオ・ジャパンが設立されたとき、アルファ164、アルファ75とともにラインアップされたのが、懐かしいスパイダーであった。
一時はハードトップを組み合わせ、スパイダー2.0「クワドリフォリオ」を名乗ったりしていたが、1990年にピニンファリーナ自身の手によってスタイリングをリファイン、スパイダー2.0になる。それはビルトインされたバンパーなどにより、新鮮で美しいスタイリングを取り戻した。
先の「クワドリフォリオ」の時は、さすがに時代遅れなスタイリングに無理しているな、という印象だったのに、マイナーチェンジでこれだけ美しく甦るとは。カロッツェリアの手腕を再認識させられたのだった。
よりユーザー層を広げるためにAT仕様もつくられ、スパイダーはスポーツカーという性格とともに、エレガントで個性的なパーソナルカーという個性も加わって人気が復活したのだった。
【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)
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